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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

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小田急1406のお話、これにて最終回

小田急1406は1968年(昭和43年)に廃車になり、他のHB車の多くが地方私鉄に譲渡された中で唯一解体されずに小田急に残りました。

このブログでご紹介の通り、暫くは経堂の教習所で教材として活用されて、その後1987年(昭和62年)海老名に移動しました。
下の画像の撮影は1989年3月12日です。
そして今回ご紹介の画像のように1303と並んで留置されていました。この時点では保存して活用する予定があったのかもしれません。そして残念なことに1303と同じく1991年に解体されてしまいました。この画像撮影から2年後のことです。

この1406は資料によると1代目が1929年製の小田原急行モハ201(206)だそうで、1946年に経堂車庫にてクハ1300形(1310)と共に焼失し、その後色々あって(結構複雑なので説明なし)クハ1450形(1466)が改番されて1406になったそうです。

海老名に来てからは経堂で新宿方を向いていた運転室側が小田原方になり、元々の向きは不明ですが、小田急で言う海山の位置が反対になりました。海老名での海側は経堂の山側で結局そちら側の状態は1303に隠されて見ることが出来ませんでした。

19890312-1.jpg

方向幕は切れてしまっています。前面の雨樋など劣化が激しいので保存となるとかなり手を加えないとダメだったかもしれません。

19890312-2.jpg

側面の車紋が残っているのは貴重でしたから解体されたのは残念でした。経堂で取り付けられた乗務員室扉への階段が撤去された跡が残っています。

19890312-3.jpg

左側の乗降扉のガラスは割られてしまったのでしょうか。Hゴムが垂れ下がっています。

19890312-4.jpg

乗務員室扉部分の撤去跡が良く分かるかと思います。そして外板内部の腐食も進んでいるようなので、この時点で既に保存は難しかったかもしれないです。

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