こんにちは。
台車の件ですが『江ノ電-懐かしの電車名鑑』(JTBキャンブックス刊)p49に「台車は軌間が異なるため切り詰めた」とあります。またモーターが使えず、601+602は電動貨車2号と110号のものを流用し、603+604は東急の手持ちのもの利用した。とあります。その後、高架勾配対策に増強したともあります。
残念ながら搬入等については記載がありませんでした。
やじたか様、こんにちは。
詳細な情報ありがとうございました。電動貨物と110からとは!東急車輌にあったモーターというのも面白いです。
こんばんは。これは貴重なシーンですね。
確かに私が知っている600のマスコンとは別のものです。
世田谷線80形はこんなマスコンでしたから、譲渡時はそのままだったのかもしれませんね。
こんにちは!
デビュー当時の600形も良いですね!
塗装が普通車と違うのも江ノ電らしいです。 この頃はまだまだローカル色がプンプンですね。
因みに台車はオリジナルの物を切り詰めたそうですよ。ちゃんと既存の物を大事に使おうというのも今にはない発想ですね。
しかしモーターだけは使えなかったそうです。
宵闇さま、おはようございます(^_^)v
台車の改造がどの様に行われたのか、興味あるところです。
何とかして使いたいという意欲があったのですね。
金太郎さま、こんばんは。
歳を取っているから出せる画像なんですが、今の色々な道具の手助けもあります。
私、運転台大好きなので、この手は多少撮っておいて良かったと思っています♪
はじめまして。600型は搬入を見たわけではないんですが、入線して半年近く極楽寺車庫の側線(車庫の一番本線より)に放置去れていたのを見ていました。その際は、車輪の小さな仮台車がついていましたね。色については、私も驚きました。昔の東武鉄道伊勢崎線の色によく似ていて、何で?と思ったものです。最近聞いたのですが、湘南のイメージに合わせた色とのことだったようです。残念ながら当時は洗車機がなく、江ノ島の留置線で手洗いするだけだったため、鉄粉と海風の砂ですぐ汚れてしまい、かえってイメージが悪くなった様な気がします。マスコンはデビュー時は玉電時代と同じだと思います。モーターは、藤沢駅が高架化されるときに登れないといけないので、大出力のものに交換去れたようです。余談ですが、写真の鵠沼駅は鎌倉行きの運転手と助役の間で、タブレットを「輪投げ」でやり取りしていましたね。駅の移設と同時に自動閉塞になり、「輪投げ」も見られなくなりました。
> コロンブスさん
初めまして。掘り起こしのコメントありがとうございます。当時は私も中学生でしたので大した画像も残っていません。
最初の改造車の後は少し時間があったのでしょうか。
603+604は、なぜか走っている際にブーンという唸り音がして、夜間に高速で走ると何とも言えない感じがしました。
暫くしたら、また江ノ電の昔の画像をアップしたいと思います。
Author:小田急指令掛川
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