前に小田原から箱根湯本までの急行が無くなり登山線内は箱根湯本まで各駅停車が小田原から行き来する以外は特急だけが行き来する形になりました。そのショックに近いものを感じました。
元々、昭和40年に本鵠沼駅の利用者になって小田急線を頻繁に使用するようになりましたが、その頃は本鵠沼には朝夕の通勤急行と準急しか優等種別は停車しませんでした。HB車も残っている時代で、夏場の江ノ島での海水浴客輸送には元祖快速急行が様々な車両を使って運行されていました。
通常の日曜日などは本鵠沼駅に急行が停車するようになってから急行2本、各駅停車が2本1時間あたり運転されるダイヤで、各駅停車は藤沢と片瀬江ノ島をずっと同じ車両が往復していました。
そんな時代を経て、今では10両の大型車が休日ダイヤでは快速急行として片瀬江ノ島まで運行されるまでになっています。
それが、来年春のダイヤ変更では藤沢-片瀬江ノ島間は特急以外各駅停車の折り返しのみと大昔に逆戻りとなってしまうことになりました。
藤沢駅で新宿方面からの乗り換えも不便になりそうですし、本鵠沼や鵠沼海岸、特急を利用しない片瀬江ノ島までの利用者も不便になりそうです。
そんな時代になってしまったわけで今回の変更は仕方ないのですが、今の状態を十分に残された時間で記録していきたいと思っています。そしてまた今のように戻ることを期待したいと思います。
今回の画像は38年前の1983年頃に藤沢駅で撮影したものです。中型車ばかりですが、大型車も沢山来るようになった時代です。ABFM車が淘汰され始めた頃で、この画像の後ろのネガには大野で解体中のABFM車が写っていました。

HE車2473Fの急行新宿行きです。この頃はまだ藤沢の次の停車駅は長後だったと思います。しっかり通過表示灯も点灯してます。

この列車は通常HE車のところ、ABFM車の2221~2224の4連で来ることが予め分かっていたので待ち構えてました。

急行が1番線で真ん中のホームは折り返しのHE車のようです。後方のデパートは様変わりしてしまいました。藤沢から先は各駅停車なので通過表示灯は消灯してます。

2224は貫通扉脇の手すりが無塗装で目立っていました。後方の北口側に高い建物が全く見えたません。

片瀬江ノ島から各駅停車の相模大野行きとして戻っていました。

藤沢駅の4番線から発車するところです。
ということで、この頃はこんな輸送力で良かったわけですが、今回の減便や運転形態の変更がどんな影響を及ぼすようになるのか、注視して行きたいと思います。