このブログを見て頂いている鉄友さんから以下のメールを頂きましたので掲載いたします。
題名の「1982.-4.-3上野発水戸行DC急行 上野駅にて」ですが、列車名は「急行ときわ」です。早朝、平(現在いわき)駅→上野と上がって来ます。途中の水戸から水郡線の磐城石川発「急行奥久慈」(水戸まで普通列車)を連結するためにDC急行でした。上野⇔水戸と往復して、夕方にまた「急行ときわ・奥久慈」として、平と磐城石川(水戸から普通列車)へ運用されました。
この列車は東北新幹線が大宮開業した時に改正され、上野開業で廃止されました。
東北新幹線が大宮開業する前は、早朝に「急行奥久慈」磐城石川(始発駅から急行でしかも途中の常陸大子まで始発列車)と常陸太田(上菅谷まで普通列車)発を上菅谷で連結して、水戸で「急行ときわ」平発編成を連結して上野へ上がってました。
折り返し「急行ときわ」水戸行と「急行奥久慈」郡山行で下ります。水戸へ着いたら奥久慈郡山行(常陸大子から普通列車)は切り離し、ときわ編成はいったん待機線に入ります。
先程とは違うお昼少し前に郡山を出た急行奥久慈(常陸大子まで普通列車)編成が到着したら、上野行急行ときわとして奥久慈編成を連結して上がってました。上野へ着いたら折り返し「急行ときわ」平行と急行奥久慈」磐城石川(常陸大子から普通列車)行と常陸太田行(上菅谷から普通列車)になります。水戸に着いたら切り離して、各行き先へ向かいます。
水郡線は水戸起点で、途中の上菅谷で常陸太田と郡山方面に分かれます。
ということだそうです。なかなか難しい運用をやっていたのですね。勉強になりました。メールありがとうございました。