
昭和46年頃の厚木駅の海老名方での撮影です。ネガがガビガビですみません。経堂行きの上りが小田原線からもあったのですね。

永山折り返し時代です。

多摩センター折り返し時代です。
こんばんは。
私はこの形式が小田急で活躍している姿を見たことありませんので、この時代の風景も新鮮です。一番上の写真ですが、これは相模線への連絡線跡ですか?。ここにポイントがあったのはもっと前の事かと思っていました。
金太郎様、こんにちは。
最初のカラー写真は、正しく相模線との連絡線です。
この時は何となく入っていったのですが、まさか小田急の線路と繋がっているとは思いませんでした。特にこの当時は柵もなくてこの位置まできたのだと思います。
この辺りの風景も一変してしまいましたね。
こんにちは。
ちょうど1900形の終焉くらいまで(1976年頃?)は、相模線との連絡線は、一応つながっていたように記憶しています。
わざわざ厚木駅で下車して見に行ったことがありましたが、なにぶん小学生だったので、写真には撮ってなかったような記憶があります。柵は確かに無かったような…。踏切から入れるようになっていたと思います。
崩れかけの車止めが、相模線との合流点直前にありました。安全側線と思います。
1900と2100、1700は、いつも日中経堂駅の53番線(旧工場跡の小田急経堂ビル脇側線)に止まっていましたので、ビルの窓から眺めていましたね。
すぎたま様、こんばんは。
この連絡線は砂利輸送の関係だったのかもしれませんが、出入りを見ることは出来ませんでした。今こんなところで写真を撮っていたら線路内立ち入りで電車が止まってしまうかもしれませんからやってはいけない行為ですね。
何時まであったかは私は記憶がありません。ご説明ありがとうございました。
経堂までの運転があった頃でもABF車は新宿までは行かなかったので、大晦日の終夜運転でABFが新宿駅地上ホームに入った時は感動しました。藤沢から各駅停車で新宿まで行くのは正直疲れましたけど。。。
Author:小田急指令掛川
FC2ブログへようこそ!
小田急や江ノ電、静岡地区の鉄道を扱ったブログです。
貨物関係も頻繁に投稿します。