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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

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江ノ電603+604って運用離脱から除籍まで何をやっていたんだろうか??

最近こいうのが多いですけど、調べているうちにウィキペディアなどの情報との相違に遭遇して何だか分からなくなるという状態が多発してます。ネット情報がすべて正解ということはないですが、鉄道趣味のこのような部分は趣味的には楽しくもあり、詳細不明で終わるのは残念でなりません。

先日、603と604はそれぞれ極楽寺留置と鎌倉駅5番線留置でという情報に、画像から603が鎌倉駅だと書きました。この撮影日がどうやら東海道線を走行した小田急LSE車との比較試験運転をした183系の撮影日、1982年11月27日の帰りだということが判明しました。これも怪しいかもですが。。。

603+604は既報の通り1981年12月20日に運用離脱しています。それから1年後は603が鎌倉にいたのです。そして今回の画像の極楽寺の603(単独留置)は、1982年7月17日なのですけど、付近に604はいません。ということはこの時点ではもしかして604が鎌倉に居たのでしょうか?そうなるとウィキペディアに書かれていることは嘘ではなくなります。
そして、新たな疑問としてなんで1983年12月1日の除籍まで603と604は残っていたのか?どこに居たのか?です。

どなたかご存知の方は教えてください。ボロボロになっているので今更108とか107挟んで3両にしようなんて企みは無理だったかと思うのですが、そのまさかだったのでしょうかねぇ??

40年近く前の話を蒸し返してもなかなか答えは出てこないようです。

197305-1a

鵠沼鉄橋を渡る603+604です。1973年5月撮影です。これくらいしか604の画像はないです。

19820717-1.jpg

そして、1982年7月17日に極楽寺で単独留置される603です。

19820717-2.jpg

極楽寺の工場前を通過する601+602です。602が651になっていない時代ですね。

コメント

貴重な写真が見れてうれしいです!

こんにちは。
一連の記事を拝読いたしました。
603Fの晩年の写真なんて存在しないと思っていたので、ここまで丁寧に記録されているとは驚きで、感激です。

さて、603Fの晩年ですが、
「江ノ電讃歌」という本に掲載された、飛田康行氏による「江ノ電年表」によると、
まず、1982年3月27日に604が江ノ島駅留置線へ移動、
次に10月25日に603号を江ノ電商事新築工事のため鎌倉駅に移動しているようです。
※ビルは1983年8月竣工の江ノ電鎌倉ビルのことだと思われます。

解体作業は1983年12月1日とのことですが、どこでどのように解体されたのかまでは分かりません。
江ノ電は車両を増車せず代替によって賄ってきた経緯があり、
不稼働の105・110を1000の落成まで休車にしていたほか、タンコロの車籍もATS化以降1101の導入まで残しています。
同様に603Fも1201の搬入1週間前に解体作業を行っているところから、不稼働にせよ車籍を残す必要があったと考えられます。

休日自衛隊様、こんばんは。

ご丁寧なコメントありがとうございます。
私も『江ノ電讃歌』持っていましたので、読み返してみます。
603+604についてはもう少し画像がありますのでアップさせて頂きます。
その後は601+602(651)に行きたいと考えてます。
今後とも宜しくお願いいたします。

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