1906+1956+1955+1905の編成で小田急で活躍していましたが、1906が大井川鐵道、1955+1905は岳南電車へ譲渡されました。
1906はご覧のように小田急時代とはお顔が整形されて左右の窓が面イチになったり、貫通扉横の手すりの上部がカットされたり、尾灯が下に下ろされて小田急時代とは違うものになったりしました。また、広幅の妻面は埋められました。
使用方法としては、電装化されて元北陸鉄道の6051+6052(元はクモハ6001)の牽引車のような形になってました。乗車した際も1906に乗りたいと言ったら怪訝な顔をされてしまいまして、閉まっていた扉を開けてくれました。その際に車内の画像を撮影していないのが悔やまれます。
最後は新金谷から東海道線に向けての廃車置き場に数年放置されていて無残な姿になっていました。
入線が1976年3月で廃車が1996年3月だそうですが、廃車前の数年間は廃車置き場にあったようです。

元気な小田急時代の大野検車区での姿です。

大井川鐵道に譲渡される前の大野工場での準備の状態です。

お客さんを乗せるつもりのなかった1906ですが、方向幕にはしっかり行き先が表示されていました。回してみたら「快速」というのがありました。

上に書いた変化点が分かる画像です。結構手が加えられていたのですね。

1906とペアになっていた6051+6052側です。北陸鉄道時代が「くたに」でしたが、大井川鐵道では「あかいし」になっていました。