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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

2022.-7.27(水)東海道線『SRC』と『サンライズ』が大幅遅延

今日は三重県内などの豪雨の影響で佐川レールカーゴとサンライズ出雲・瀬戸が大幅遅延となり、サンライズは名古屋打ち切りとなって、回送でその後の運行が継続されました。
迷惑を受けられた方々には申し訳ありませんが、静岡西部地区は両列車共に夜中の通過で通常であれば撮影することが出来ません。そのため、それを聞きつけた夏休みに入った人たちも数名撮影に来ていました。
撮影は東海道線の愛野-掛川間です。


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未だこの近辺では普通にみられる湘南色の211系ですが、普通に撮影出来るのも今しかないと思って必ず記録してます。

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SRCの通過は9:57でした。

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前後で車両前面のシールが違います。

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サンライズ出雲「・瀬戸は10:20の通過でした。

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名古屋で打ち切っているので表示は「回送」です。

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出雲と瀬戸の連結面です。

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一度乗車してみたいものです。

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313系と211系のブツ4連は、前パンのW1編成が前でした。

江ノ電の旧500形の戸袋窓について

以前にコメントでご指摘を頂いた江ノ電旧500形の戸袋窓の大きさについて、ご指摘を頂くまで全く気にしていませんでした。手元にあった画像を並べてみてなるほどと思った次第です。
鉄道の趣味ではこの様な細かな点に着目して経緯を紐解いていくというのも楽しみの一つです。そのようなきっかけを作って頂けるコメントは非常に有難いと感じます。


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1973.-5.-5に鵠沼で撮影した旧500形です。501Fと502Fははっきりとした違いがありました。Zパンタです。

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502Fですがオデコの辺りの違いがお分かりになるかと思います。このフォルムが一番好きでした。峯が原信号所です。1978.-2.19撮影です。

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極楽寺で301Fと4連を組む502Fです。撮影日不明。

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片開き扉に改造直後?のように思います。お顔も随分と変化しました。撮影日不明です。

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戸袋窓が小さいことが分かるご指摘を頂いた画像です。1988.-8.-6撮影です。

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極楽寺車庫内の502Fですが、戸袋窓が大きくなっています。撮影日不明です。

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特別塗装の501Fですが、戸袋窓は大きいです。2001.-7.-7撮影です。失敗写真の活用になりました。

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戸袋窓が大きくなって近辺の窓と調和しています。2001.-7.-7撮影です。

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今NHK大河ドラマで人気?の満福寺から撮影した501Fです。車端部の戸袋窓の確認が出来ました。2001.-7.-7撮影です。

ということで、改造の正確な時期などは不明ですが、改造後も改造があったという確認が取れました。

2022.-7.24(日)1097レで久しぶりに昼間のEF66-27撮影?

7/24未明に1084レで新鶴見に向かった吹田A3仕業のEF66-27ですが、予定通りに吹田A4仕業になって昼間の東海道線を下りました。東海道線の掛川-愛野間で待ち受けましたが、なんと上りの遅れ貨物とすれ違い、まともに撮影出来ませんでした。
機関車自体は何度も撮影していますので、昨日元気な姿で走行したという記録が出来たということで我慢しました。


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東海道新幹線はN700Sの導入が順調でN700aを見ることが少なくなりました。

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5075レのEF210-334です。

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1093レのEF210-11です。

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1072レのEF210-305です。

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そして待望の1097レが来たのですが。。。

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あ-あでしたけど、まあ良しとしますか。

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かろうじて見える車番です。

またたまには元気な姿を此方で見たいものです。

2022.-7.22(金)メトロ18108F甲種輸送8862レEF210-138牽引

メトロの甲種があるということで撮影に行ってきました。YouTubeにも動画をアップしていますのでご覧ください。

https://www.youtube.com/channel/UC8ar6sGglQs9ipXQDCoB-qQ

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1092レです。この列車は、吹田機関区のEF66-100が牽引するのが定番だったのですが、今はなかなかその機関車が運用に入ってくれなくなりました。

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動画のスクリーンショットでもいけますね。8862レのメトロ18108F甲種です。

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機関車のすぐ後ろは汚れるのでカバーが付いてます。

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過去の輸送では土曜日にこの付近を走行することが多かったのですが、最近は一日繰り上がっています。又は夜中の走行で近辺では撮影が出来ません。

2022.-7.18(月)臨9870レはDD200-9+日鉄チキ3B

今日は鉄友さんからの連絡で臨9870レがDD200-9牽引チキですよ・・・ということで撮影してきました。
DD200-9は2078レで先行のEF210-5にムドで付いて西浜松まで来て切り離し。その後臨8090レEF210-168でやってきた日鉄チキ12Bは9Bを西浜松で切り離し。DD200-9はそれを引き継いで臨9870レとなり日鉄チキ3Bを引っ張って西浜松から静岡貨物までの行路についたというわけです。
これは、現地でご一緒した高校生さんに教えてもらいました。ありがとうございました。


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DD200-9をムドで運んできた2078レのEF210-5です。西浜松で切り離ししました。

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臨8090レの日鉄チキ3Bを西浜松から静岡貨物まで輸送する臨9870レのDD200-9+日鉄チキ3Bです。DE10の列車は一度撮影しましたが、DD200が本線上を走行する姿は初見で初撮影でした。

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臨9870レの後ろ姿です。前方が東海道線掛川駅になります。撮影は東海道線愛野-掛川間です。

1980年代半ばの東武鉄道8000系の原型顔

いつの間にか東武の顔だった8000系の原型顔というのが保存車を除いて無くなった?のでしょうか。1985年か19876年頃の撮影と思われる詳細不明の画像で振り返ります。

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この塗装は汚れが目立って不評だったようですね。

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工程の簡略化とかコストメリットはあったと思うのですが。。。

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この頃は通常の行先の場合、行先表示板は使われていませんでした。

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東武の車両って車内から運転席が見えずらいイメージがあります。

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この塗装が出て何だかホッとしました。

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移り変わりの時期で混色編成が見られました。

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前面屋根の上の小さなライト二つがあったり無かったりしてますが、通過表示灯のようなもの??

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この東武8000系というのはよく見ると車両数もかなりあったので様々な違いがあったのだと思います。暫く訪問していないのですっかり変わった車両たちを撮影してみたいものです。

※少し調べたら前面屋根上の二つの小さいライトは、マーカーランプと称されていて、所謂『急行灯』ということだったようです、小田急でも通過表示灯と言っていたものかと思います。

東武から三岐鉄道に行ったELについて

昨日の東武鐘ヶ淵の画像にあった東武のELですが、確か三岐で撮っていたなと探したらありました。
しかし、撮影したED5060ではなくてED5081という同一仕様のELでした。このELは成田空港建設の資材輸送用に1970..-1に東芝府中工場で製造されて、空港建設関係の仕事が無くなった後は東武で2003.-9まで貨物輸送に使われ、その後2003.10に三岐に譲渡されたようです。
三岐にはED5081とED5082の2両が居て2016.-8.19に撮影してました。今も健在なのかどうかは確認していません。


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ED5081が先頭の朝一で出発して何とか撮影出来る貨物列車です。

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私鉄の貨物列車は他には秩父鉄道くらいになってしまったのでしょうか。岳南電車も魅力あったのですが。。。

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ED5082側です。保々の車両区で形式写真が撮りたかったです。この出会い以降は画像がありませんでした。

少し前の東武鉄道の画像(1)

東武というとなかなか撮影に行けない私鉄の一つです。画像もそれほど無いのですが興味はありましたので今回はその昔の画像をお届けします。
この会社は積極的に昔の塗装を復活させたりするイベントを数多く行っており、地味な小田急と比べると羨ましい限りです。小田急も最近はイベントを数多く設定して頑張ってはいるのですが、復活塗装とかは無いので、期待したいものです。



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1972.12.26にお西新井の工場を訪問して撮影したものです。当たり前の車両でしたが今は既に消えてます。

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上の写真と同じ日の撮影ですが、いまは博物館にでも置いてあるんでしょうか。この時点では入れ替えに使っていると聞きました。とは言っても50年前のことなので記憶が間違っているかもしれません。

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この後の画像は全て1975.02.11の撮影で47年前になります。
この一色塗装への変更は結構ショックでした。鐘ヶ淵駅ですね。


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白黒画像では8000系旧塗装(この時点での)の色の境界がはっきりしてません。

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この1800系「急行りょうもう」という存在も面白かったです。

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貨物が浅草側にも来ていたのですね。このEL(ED5065)は三岐にいるELかな?確かめます。

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この6000系や5700系には乗ってみたかったです。
続きをもう一回やります。

1986.-5.-3近江鉄道訪問記録

昨日アップした名鉄の在来専用の気動車の記事の金太郎様へのコメント回答中に近江鉄道のキハについて思い出したことがあり、画像を探してきました。
先日の岐阜市内線画像と同じ日の鉄旅行で近江鉄道にも行ってたようです。

近江鉄道は全線直流電化路線なのですが、電力供給のコスト削減のために富士重工業のLE-Car(12mの2軸車)を5両製造して1986年に閑散線区の貴生川駅-八日市駅間で使用を開始。しかし輸送能力の問題があり、1996年に運用から外されたとのことです。その後一部残されたものもありましたが全車解体されたようです。
特筆事項としては、車体が軽量のためレール表面の錆が取れず、信号電流の通電が不良となって踏切警報機が作動しないことがあったようです。これは非常に恐ろしいことで信号系統ももしかしたら影響を受けたかもしれません。

名鉄のキハ10との違いはエンジン出力が名鉄180psに対して近江鉄道は230psということで冷房も当初から準備されてました。
この訪問では動画も撮影していたはずなので、YouTubeのチャンネルにいずれは動画をアップしたいと思います。
撮影は表題の通りで36年前になります。


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彦根駅の車両基地。日車標準車体というのかもしれないのが居ますね。

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これは近江オリジナルでしょうか。

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本当の目的はこの元小田急1600形に乗ったり、撮影したりというのだったのですが動いていなくて残念でした。

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乗務員扉の大きさはデハとクハで小田急時代から違っていました。尾灯の位置は下に移動して小田急時代には無かった列車無線アンテナが取り付けられています。前灯は1灯のままだったようです。

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これも近江鉄道オリジナルのようです。

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今回のメインの電化路線に投入されたキハです。

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バスそのものですね。

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貫通扉の内側に行先板を挿入するというのはありそうでなかったアイデアだなと思いました。雨でも濡れずにすみますね。

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車内はバス基準なので狭いです。これでは早々に2両連結になったり、輸送力不足で電車に戻したりということがあっても仕方なかったかもしれません。

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運賃表です。ワンマンが基本だったようですね。

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運転席です。

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整理券発行機や運賃箱がある車内。

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2軸で揺れそうな車体外観。名鉄では取り付けられなかったヨーダンパが台車に付いているように見えますけど・・・。

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本記事については間違った解釈もあるかもしれませんので詳しい方から補足を頂けると嬉しいです。

名鉄三河線(山線)の記録・・・2003.-8.29

名鉄にはいろいろな事情があって、電化路線を気動車化した箇所がありました。キハ10/20/30という3形式があって、撮影出来て乗車したのはキハ20だったようです。既にキハ10は老朽化で廃車になっていたようです。
この路線は知立から梅坪というところまで行くと分岐して猿投、この時点では西中金まで行けました。
梅坪駅の一つ手前が愛知環状鉄道線も連絡する豊田市駅で上小田井方面からの列車は此処まで来て折り返します。そんな事情もあまり知らずに乗ってました。
猿投から先は西中金まで非電化で気動車の本領発揮なんですが、乗車した列車は電化区間が終点でした。
ともかく大手私鉄で気動車が走っていることと、この時から少し先に気動車運用が廃線により無くなるということで撮影に行ったようです。今のようにスマホで簡単に情報も得られず(携帯電話はありました)、SNSもなかった時代ですから、下調べも大変でした。


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知立に到着するとお目当ての気動車は無し??

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猿投までしか行かないのか?と思いました。実際にそうでした。

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少し待つとキハ20の2両連結が来ました。猿投(西中金連絡)の表示の意味が不明でした。

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電車の表示は猿投で気動車には西中金連絡の追記があります??

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気動車の運転室ですが、乗務員さんはこの非電化のために気動車運転の免許取ったんでしょうね。

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運転士さんのスタフには猿投までで、猿投で西中金行に連絡するという注意書きがあります。非電化区間まで入らない気動車って意味があるのやらでした。確認に行けばよかったです。

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車両番号が分かるように画像を反転してます。24と読めます。

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交換は逆側に入るのですね。

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土橋という駅のようですが、此処まで左の車両は来て留置されているようです。

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気動車は梅坪で分岐して猿投方面に入っていきます。

画像は全て2003年8月29日撮影です。

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