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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

佐久間レールパークにあった0系の先頭部カットモデルについて

先日、当ブログにて少し話題になった佐久間レールパークにあった0系の先頭部について、コメントを頂いた方からの情報で、現在の総合車両製作所にありますよということと、グーグルのストリートビューで見えるとの情報を得ました。その確認がお陰様で出来ました。

佐久間レールパークは1991.-4.21開館で2009.11.-1に発展的に閉館しました。そこの0系新幹線の先頭部は保存状態も良く、運転室内をじっくりと観察出来る楽しい展示物でした。それが佐久間レールパークから名古屋に移設されたということもなかったので、解体されてしまったのかと思っていたわけです。


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鉄道車両の印象はやはり前面のお顔なので、そこを残していくというのも1つの保存方法と思います。

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斜め上からも撮影が出来るポイントが設置されてました。

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運転台の全景です。

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運転席の椅子は座り心地なんてあまり気にしていない時代のものだったのか、硬かったです。

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助手席側ですが、新幹線の運転士さんは二人乗務の時代があったのか?その点不明です。

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マスコンと速度計ですが、アナログですね。

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車掌SWなどは在来線と変化ないものに見えました。

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乗務員室の窓は落とし窓ではなくて開き窓でした。

総車01

総合車両製作所のストリートビューです。0系を見つけるよりも、隣の高校が羨ましく思えました。中が丸見えですよね。

総車02

側面ですが木の陰で見えずらいです。一般公開はしていないということなので、外からは多少見えても運転室内部に入ることは無理かもしれません。

佐久間レールパークの画像は、2008年5月31日の撮影です。

2022.-6.29(水)大井川鐡道新金谷区の様子

先月は5/25に訪問していたので、1か月経過して何か変わったかなと思い出掛けてきました。
結果は全然変化無しでした。と言っても鉄趣味的な変化のことで詳細には様々な細かな変化や改善はあったものと思います。酷暑の中で車両整備を黙々されていましたので、普通が当たり前というのは非常に厳しいとお察し致します。


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一月前と同じ並びでした。

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E102もそのままです。少しは動かしたのかな?

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台車に蜘蛛の巣があったので、全く動いていない感じでした。

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いぶきはもうこれって整備中じゃなくて廃車体なんでしょうか?心配になってきました。

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放置状態に見えます。優先順位が相当低いようです。

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そして一番不思議なのがこの車両です。折角綺麗に整備されたのになぜ使わないのでしょう?何か問題があるのかなあ?

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他の南海勢も2編成居ました。動いているのは東急系と近鉄系のようでした。


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E102です。今の状態ならば近づいて詳細撮影が出来ますね。

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機関車2両留置してますが、手歯止めって無いのかな???

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こちらも変化無しでした。庫内ではSLの復旧工事が行われているようでした。
また7月後半に行ってみようと思います。

大阪弁天町にあった交通科学博物館のこと大阪(2)

この交通科学博物館の中の展示品で一番印象に残って気になったのが、第一種電気連動装置でした。これを扱っている動画がTVに写されていたのですが閉館間際になってもう一度見ることが出来ませんでした。
その後にYouTubeで『鐡道信号』という2本の動画が正に放映していたものと分かり歓喜しました。動画内は京都駅構内の連動装置取り扱い風景で、展示品は吹田の貨物駅にあったものと書かれてました。1/2と2/2があって2/2に扱いが写されてます。
指示者がダイヤグラムを見ながら取り扱い者に『〇番定位』などと指示を出して、動かす取扱者は復唱して『〇番定位』と確認してました。
ポイントや信号をこうやって手動で動かして安全を確保していたというのは大変な作業だったかと思います。

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この下の画像はかつての名車80系になります。京都に移設されてますので見ることは可能かと思います。しかし80系と言えば前面2枚窓の湘南顔(形)です。なぜ、初期の車両だけ残してかつて鉄道車両のデザインに多くの影響を与えた車両が全く残されることなく消えてしまったのか非常に残念に思います。

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上部の緑色の塗分けが独特ですね。

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運転室内は非常に広いです。

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乗務員扉の前の小窓が良い感じです。

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電車ですけど側窓や座席の造りは客車の延長線ですね。

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側面だけ見ると客車ですね。

YouTubeの『鐡道信号』は是非検索してご覧になってください。

大阪弁天町にあった交通科学博物館のこと

この博物館は、1962.-1.21開館から2014.-4.-6の閉館まで大阪にあった博物館です。環状線の弁天町駅を降りて目の前に入場口がありました。
私は高校生の時に所属していた鉄道研究会の旅行で1度、2度目が今回紹介する2012年4月12日の訪問でした。閉館まで残りわずかであったので訪問していたようです。
大部分の展示品は京都の鉄道博物館に移設されましたが、残念なことに大阪で移転を前に撤去されてしまったものもあったようです。


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この0系新幹線のモックアップは撤去されたものの一つのようです。JR東海の中部天竜にも外置きの先頭部があったのですが、これも撤去されたようで残念です。写っているパタパタ表示機も何処かにあるのでしょうか?

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アナログメーターの残る運転台です。撤去が残念です。

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此方も撤去されたようですが、151系のモックアップです。残して欲しかったですね。

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151系のモックアップの運転室です。

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101系のモックアップです。これも撤去されたものの一つのようです。

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古い電車の運転室というのは簡単に再現出来ないので撤去は非常に残念でした。

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D51-2は岡山津山まなびの鉄道館に移設されたらしいです。ですので京都では見ることが出来ません。

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東名高速バスの三菱B906Rで1969年製とのことですが、別の場所に収納されているようです。

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DD13-638とDF50-18も岡山津山まなびの鉄道館に移設されたとのことです。
この博物館でのその他の展示状況をまた次回にお届けします。

2年前の貨物は、、、2020.-6.21

最近はあまり貨物に動きが無いので撮影も滞っていますが、少し前はどうだったのかなと見返してみました。2年前、コロナ禍という言葉が定着し始めた頃でしょうか。
3075レにはロクヨンが充当されていて一つのターゲットでした。また2059レも吹田の運用だったかと思うのでコレが入る可能性がゼロではなかったわけです。
今の貨物はEF210の独壇場の中でかろうじてEF66-100が来ますからPFと共にそこが狙い目なのかもしれません。
少し気持ちを切り替えて近隣の撮影に臨まなければと思っています。


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2059レのEF66-27です。

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3075レのEF64-1042です。

2枚共に東海道線の掛川-愛野間で撮影です。

小田急に残った赤い1058Fの赤くなかった頃(2)

行先表示器や種別器にフィルム幕を使っている車両というのが、正に未更新車で徐々にその姿を消しているのですが、小田急ファンの中でも案外ロマンスカーの車両と比べると人気が低い感じです。
もう間もなく消えていくであろう車両ですので、私は気合を入れて記録したいと思っているのですが、撮影に行くチャンスがなかなかありません。


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1158が顔を見せている向ヶ丘遊園行の各駅停車ですが、今はこの手の編成を使った向ケ丘遊園行各駅停車は見られないのかもしれません。2006.-5.-1梅ヶ丘駅で撮影です。

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新松田-小田原間の各駅停車運用の1058Fです。2007.-5.20開成駅で撮影です。

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快速急行に充当される1058Fです。2007.-8.14向ケ丘遊園駅で撮影です。

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これも快速急行に運用中の1058Fです。2008.-5.-1生田-向ケ丘遊園間で撮影です。
残念なことに先日廃車になった1061Fについては赤くない現役当時の画像が今のところ見つかっていません。継続して探さないと。。。

小田急 残った赤い1058Fの赤くなかった頃(1)

いよいよ登山線の赤いラッピング車も1058Fのみになってしまいましたが、その1058Fがラッピングされる前に本線で活躍する姿をお届けします。

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経堂駅を通過する箱根湯本行急行です。2004.11.-4撮影。

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新松田-渋沢間を行く上り急行です。20005.-5.-2撮影。

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渋沢-新松田間を行く下り急行です。2005.-5.-2撮影。

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本線(下北沢-東北沢間)では滅多に顔を見せない小田原方が出た4+4のブツ。20005.-8.11撮影です。

江ノ電バスの辻堂⇔本鵠沼線のこと

かつて辻堂駅と本鵠沼駅を結んでいた路線がありました。全線狭い道を走行するルートで、中型のバスでしたが結構スリルがありました。バスは中ほどに折りたたみ手動扉のある当時の番号で107と108という車両が充当されて、通常は女性車掌さんが乗務していました。
本鵠沼駅では、踏切を渡らずに当時あった小田急の売店にバスの先頭を近づけてから、車掌さんの笛の合図で90度お尻を振ってバックして発車に備えてました。
駅を出ると直ぐに左折、右折をしてから少し走行して左折して直進して1か所目のバス停(名前忘れました)確か堀川?を通り、藤原の交差点へ。この交差点を直進して藤原、太平橋、太平台、東町と進むのですが、確か東町は左折して浜見山方向には行かずに直進してからバス停があったかと思います。直進しても道路は狭いので運転は大変だったかと思います。その先のバス停の名称の記憶はありません。
ツーマン仕様のこのバスは、方向幕が確か布製で終点間際になると車掌さんが前後の行先をキュルキュルと音を立てながら変えていました。
本鵠沼線が廃止になった後は行き先が鵠沼車庫になり、現在は通常の大型車が充当されていると思います。東町からは浜見山経由のルートです。
かつて住んでいた家の近くを走っていたのですが、本鵠沼駅での撮影をしていないのが悔やまれます。


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引地川の太平橋を藤原方向に向かうバスです。この画像の時点で本鵠沼線は廃止になっていたかもです。
この画像の付近も現在は住宅密集地になってますね。元々は田んぼでしたが、砂取りと言われる作業が続いて、その後は暫く広大な空き地になっていました。
この路線に関する情報はググっても何も無いのが寂しいところです。

小田急赤い1000形(1061F)が廃車・解体へ

先日海老名電車基地で並び撮影会を終えた後も営業線で最後の活躍をしていた表題の電車が廃車・解体となりました。
残る赤い1000形は1058Fのみとなりました。
登山専用にこのカラーラッピングがされたのが2009年4月でした。1061Fの赤くなる前の画像が無いか探したのですが、自分の手持ちが無いので知人から入手していたラッピング直後の画像をアップします。


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1061Fの新宿方です。

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1061Fと4連化された5256Fとの並びです。

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1061Fの小田原方です。

撮影は全て2009年4月11日と思われます。

名鉄岐阜市内線の画像(1980年代の中頃?)

コメントを頂くやじたか様のブログでこの関係の路線の車両や沿線の情景を取り上げていたのを見て、何度か新岐阜駅前で撮影したものがあったなと探してみました。
撮影日が定かでないのですが、此処は併用軌道内に道路が狭いこともあって自動車の進入が許可されていたり、電停のかさ上げが道路幅の関係で出来なかったりと条件が悪くて大変だったようです。
関係路線全てが廃止されてしまいましたが、なぜもっと訪問しなかったのかなと残念な気持ちです。


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この車両の「ひだ」に乗ってみたかったです。

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岐阜駅前でしょうか?バスはこんな感じでした。

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交通量が多いのでまともに車両が撮影できません。

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この電車にも乗ってみたかったです。

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バスの形式には詳しくないのですが、バス窓といわれる車両が居ると撮影してました。

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電停に境目というものが無いので乗降は怖かったかと思います。自動車を運転する側も同じくだったと。

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次々に来るのですが、何処の何の路線なのか全く把握せずに撮ってました。

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車やバスに必ず邪魔されてまともに撮れなかった記憶があります。

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バスも電車も車も身動きが取れない感じですね。一般自動車を乗り入れさせないようにしたら延命出来たのでは?とか思いました。

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「このこ」じゃなくて「ねのこ」ってバス上の宣伝看板は読むのですね。バスは、岐阜市営、岐阜バス、名鉄バスなどが入り乱れてました。
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