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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

2021年 本年も当ブログにお越し頂きありがとうございました。

2021年も今日で締めですね。今年も小田急と江ノ電にはコロナ禍で少ししか行くことが出来ませんでしたが、来年は何とかコロナが収まって普通の『鉄』が出来る年になって欲しいものです。
本年も当ブログにお越し頂いた皆様、ありがとうございました。

ラストは今年一年の静岡西部地区で撮影のEF66-27の画像で締めくくります。


20210227-54レ

2021.-2.27撮影の54レです。

20210306-54レ

2021.-3.-6撮影の54レです。

20210411-1092レ

2021.-4.11撮影の1092レです。

20210425-3075レ

2021.-4.25撮影の3075レです。

20210529-2079レ

2021.-5.29撮影の2079レです。

20210530-1092レ

2021.-5.30撮影の1092レです。

20210704-2063レ

2021.-7.-4撮影の2063レです。

20210711-1092レ

2021.-7.11撮影の1092レです。

20210821-3075レ

2021.-8.21撮影の3075レです。

20210926-1092レ

2021.-9.26撮影の1092レです。この日から66-27が週末に見えなくなってしまいました。

20211226-5087レ

ラスト画像は先日もアップした2021.12.26撮影の5087レです。ニーナさん、復活出来て良かったです。また2022年も撮影で楽しませてくださいね。
それでは皆様、良いお年をお迎えください。
そして新年からも宜しくお願い申し上げます。

小田急新宿口の短い編成写真

小田急の画像を撮っている大御所の皆さんからすれば何のこともない画像ですが、1971年頃に撮影した経堂と豪徳寺の間での2201他の4連各駅停車がありました。新宿口の短い編成の画像ということでアップします。
この頃ならば旧旧4000形の3連があったはずですが、それは新宿方では撮影していません。
昨日アップした経堂駅の画像には1800形4連の各駅停車が写っていましたが、あの車両は20mの4扉大型車ですから、この中型4連という方がこの当時の一般的な運用の列車だったかと思います。
五角形の方向幕は、各駅停車を意味するものとして使われていました。逆に白地に文字のみの表示は急行・快速準急・準急などの優等種別に使われていました。種別幕の無いABF型なども残っていた時代なので、各停の表示は種別幕にあったものの使われることはありませんでした。


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こんな画像ですが、もう50年前になってしまいました。

42年前(1979年3月)の小田急経堂駅

小田急で短い編成の列車を自分の撮影した画像から探していたら、経堂駅の昔の画像がありました。昭和54年の3月の撮影ですので1979年で42年前になります。
経堂アパートとか後ろに写ってますが、今はないので現状と位置を合わせる術がないのが残念です。

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1800形の4連各駅停車、N6非冷房車の6連準急、上り線には冷房改造したと思われるN6が見えます。6連が停車してギリギリの状態ですね。経堂駅の新宿方下り線を撮影したものです。

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こちらは経堂検車区の豪徳寺側の道路からの撮影です1300形2連が居るところには。配送列車の専用ホームがありました。左は2668Fのようです。

こんな、なんでもなお画像がまた見つかるとよいのですが、そうは無いんですよねww。

1983年頃小田急藤沢駅を出入りする車両

2022年3月の小田急のダイヤ変更は小田急ファンにとって衝撃的なものでした。その内容について、様々な推測をファンがしているわけですが、その中でも私には江ノ島線の藤沢-片瀬江ノ島間の急行、快速急行、各駅停車の相模大野方面からの直通が廃止になるというのが驚きでした。
前に小田原から箱根湯本までの急行が無くなり登山線内は箱根湯本まで各駅停車が小田原から行き来する以外は特急だけが行き来する形になりました。そのショックに近いものを感じました。
元々、昭和40年に本鵠沼駅の利用者になって小田急線を頻繁に使用するようになりましたが、その頃は本鵠沼には朝夕の通勤急行と準急しか優等種別は停車しませんでした。HB車も残っている時代で、夏場の江ノ島での海水浴客輸送には元祖快速急行が様々な車両を使って運行されていました。
通常の日曜日などは本鵠沼駅に急行が停車するようになってから急行2本、各駅停車が2本1時間あたり運転されるダイヤで、各駅停車は藤沢と片瀬江ノ島をずっと同じ車両が往復していました。
そんな時代を経て、今では10両の大型車が休日ダイヤでは快速急行として片瀬江ノ島まで運行されるまでになっています。
それが、来年春のダイヤ変更では藤沢-片瀬江ノ島間は特急以外各駅停車の折り返しのみと大昔に逆戻りとなってしまうことになりました。
藤沢駅で新宿方面からの乗り換えも不便になりそうですし、本鵠沼や鵠沼海岸、特急を利用しない片瀬江ノ島までの利用者も不便になりそうです。
そんな時代になってしまったわけで今回の変更は仕方ないのですが、今の状態を十分に残された時間で記録していきたいと思っています。そしてまた今のように戻ることを期待したいと思います。

今回の画像は38年前の1983年頃に藤沢駅で撮影したものです。中型車ばかりですが、大型車も沢山来るようになった時代です。ABFM車が淘汰され始めた頃で、この画像の後ろのネガには大野で解体中のABFM車が写っていました。


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HE車2473Fの急行新宿行きです。この頃はまだ藤沢の次の停車駅は長後だったと思います。しっかり通過表示灯も点灯してます。

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この列車は通常HE車のところ、ABFM車の2221~2224の4連で来ることが予め分かっていたので待ち構えてました。

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急行が1番線で真ん中のホームは折り返しのHE車のようです。後方のデパートは様変わりしてしまいました。藤沢から先は各駅停車なので通過表示灯は消灯してます。

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2224は貫通扉脇の手すりが無塗装で目立っていました。後方の北口側に高い建物が全く見えたません。

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片瀬江ノ島から各駅停車の相模大野行きとして戻っていました。

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藤沢駅の4番線から発車するところです。

ということで、この頃はこんな輸送力で良かったわけですが、今回の減便や運転形態の変更がどんな影響を及ぼすようになるのか、注視して行きたいと思います。

EF66-27 5087レで下る 2021.12.26(日)

昨日東京メトロの甲種輸送で上った復活のEF66-27ですが、今朝方5087レでEF65の代わりになって下って行きました。一日遅くなりましたが、この地域へのクリスマスプレゼントとなりました。
鉄友さんからの連絡で通過の30分前に出撃しました。
静岡西部地区では夜中の甲種は撮影出来ず、朝方もまだ暗い時間帯でかなり東に行かないと撮影できないため諦めてました。この列車には撮影場所の周囲に6名ほどの方がニーナさんを撮りに来ていました。


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EF210の標準塗装も減ってきてますので撮らないといけません。EF210-3です。

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こちらはEF210-164です。来年度も210の押し桃が増備されるようですね。

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お待ちかねのEF66-27復活です。5087レに入るというのは何とも珍しい展開でした。

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機関車の次位は空コキでしたから撮りようによっては楽しく写せたかもです。

小田急50000形VSEの記録(7)

もう一度2008年ですが、こんなに色々と走っていたんですね。この撮影地も入ることが出来なくなってしまい、結局この時だけで終わりました。

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小田急50000形VSEの記録(6)

今回は2008年の活躍にになります。

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2008.-2.15撮影です。

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2008.-3.-8撮影です。

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これも2008.-3.-8撮影です。

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2008.-3.15撮影です。


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これも2008.-3.15撮影です。

こんな企画を立ててやっている内に本当に引退が発表されてしまいました。
新技術を加味して苦労して製作したVSEなのに、道半ばで引退とは残念でなりません。この電車のシステムに携わった方の無念というのは計り知れないかと思います。
引退まで、静かに、安全に見守ってあげたいですね。

天竜二俣駅付近の保存車両

天竜二俣駅の西側にキハ20とナハネ20が保存されています。以前の開放日に伺った際は、なんとキハ20のエンジンが掛かっていて、マスコンでエンジン回転を上げたり、ブレーキ弁の操作などが出来ました。
ここまで来ていると次は復活して天浜線を走行して欲しくなるのですが、まあそんなことは簡単に出来ないのでしょう。
それにしてもエンジンが掛かる状態で静態保存(半動態保存?)されている車両なんて此処だけじゃないでしょうか?すごいことだと思います。


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キハ20-443です。

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キハ20-443のお顔。

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ナハネ20-347です。窓まわりのHゴム?が劣化しているようで、これの交換はかなり難しいです。どこかの電車でHゴム交換を手伝いましたが、道具と技と人手が必要です。

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入場券を購入して入ったホームからの撮影です。

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キャタラー号との並びです。

第3村を見に来た際には是非こちらも見学してみてください。すぐそばには光明電気鉄道の駅跡を見ることも出来ます。

2021.12.19(日)冬晴れの天浜線エヴァンゲリオンラッピング車追っ掛け(2)

12/19(日)の天浜線の続きです。

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天竜川の河川敷にやってきました。同行のお仲間は山側の自動車橋から側面を狙うようでした。

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私はこちら側の側面を大きく撮りたかったので、橋の直ぐそばに残りました。

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川が荒れた際の流木とか色々と残ってましたが、曇りになることなく撮影ができました。

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遠江一宮の新所原側のポイントでエヴァンゲリオンラッピング車通過前の練習です。

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圧縮効果で線路がクネクネの中を進む列車というのは、よくローカル線を登場させる際のTV番組の定番ショットですね。

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顔だけですけどエヴァンゲリオンラッピング車です。

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この列車は天竜二俣止まりで車庫に入ります。

一頃に比べて沢山のお客さんが天浜線に来てくれていて嬉しいのですが、ルールを守って安全第一で旅行や撮影を楽しみましょう。

国府津機関区国府津電車基地で見た車輌(クモハユ74)

この画像の撮影日がわかりません。自分の環境を考えると房総地区から1978年に大船電車区にやってきたとなってますから、それほど移動してから撮影時期に差異があるとは思えないのです。
そして、事業車代用と東海道貨物の訓練用に使われて1981年までに全車廃車ということなので、見る事が出来た期間も短い間だったということになりますね。

全てがモハ72からの改造で74001のみがクモハ74001の時期があって、その後に郵便室が独立されて002と003と同じになったようです。どちらにしても、中間車の両側に運転室を増設した、所謂ゲテモノ電車だったようです。こういうのが今もあったら、追っかけ回していると思います。車内の画像とか、郵便室の仕切りがどうなっていたのか、運転室はどうなっていたのかなど気になり出してしまいました。


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手前がクモハユ74003です。

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クモハユ74003:元がモハ72159とのことです。奥側の非冷房のサロも懐かしいです。

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クモハユ74001です。

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クモハユ74001から74003を見てます。

ネットで調べてもあまり詳細な情報がありません。謎多き電車なんでしょうか?
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