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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

湘南色の想い出(1)

現在地元の天竜浜名湖鉄道で湘南色(天浜線ではリ・プラス)の気動車が走行していますが、この塗り分けの電車を見ることは出来ません。
何かとても懐かしさを覚えるこの塗装、当たり前の塗装なのかもしれないのですが、完全な塗り分けは消えて行きそうな気配です。JR東海でも211系が淘汰されてしまうとオレンジは残っても緑色が無くなってしまいそうです。
どこかでこれを標準色として残して頂いたいと思っています。

今日の画像は最初に1996年3月16日改正前に消えた165系の急行です。「富士川」になります。


1996富士川-01

4両のこじんまりした編成でした。

1996富士川-02

丸いヘッドマークはお別れ用でしょうか。

1996富士川-03

パタパタ表示機も消えたのでしょうか。

1996富士川-04

身延線からの富士山も素晴らしいですが、富士に到着する前の東海道線からの景色も結構綺麗ですね。

1996富士川-05

165系の運転台です。富士で向きが変わります。


1996富士川-06

やはりこのヘッドマークがお似合いです。

富士川にはこの急行時代には乗車することなく、結局「特急富士川」になってから数回仕事で利用しました。165系のモーター音を記録したかったです。これも25年前のこととなってしまいました。

2021.-9.18(土)8862レ西武40000系甲種輸送

最近は夜間通過(静岡西部地区で)になってしまい撮影の出来なかった西武40000系の甲種輸送が昼間にこの地区を通過する8862レで運転されましたので、台風の余波の残る中を撮影に出てみました。

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台風の勢力が収まってきていたものの、未だ雨は時折強く降っている中での撮影でした。牽引機はEF65-2092でした。

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こんな天候の中でしたが定刻の運転でした。西武40156Fです。

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後部は踏切下からノ-ファインダーのためこんなことになってます。ピントもあっていない。。。この系列は初めての撮影かもしれません。

大人気となっている小田急トラベルの小田急1000形未更新車ツアー

小田急の1051F編成を含めた3種類のツアーが企画され、瞬く間に予約完了となったようです。
中身が比較的濃い、マニアックな内容ながらここまで人気があるのは、今まで何もなかったというのもありますし、少し気持ちがおおらかになった来ている証でもあるのかもしれません。
開催までにコロナ禍が少しは下火になり、無事に安全にイベントが開催できることを願っております。


IMGP8055 (3)

IMGP8056 (2)


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東急田園都市線の8500系大活躍の頃(3)

ここまで8500系で。
長津田に並んだ8500系です。もうこんな並びは見られないんですよね。

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8000系とは違った魅力がありましたし、何よりもあの近く間での爆音が最高でした。

※快速急行様のご指摘により誤記撮影場所の鷺沼を長津田に書き換えました。2021/9/15 20:40

東急田園都市線の8500系大活躍の頃東急(2)

撮影は1975年3月28日です。今から46年も前です。それくらい8500系も頑張って走ってきたということです。

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東横線も走っていたのですね。

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田園都市線の未開通部分の試運転です。

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鷺沼でわざわざ並べてくれたような3系列です。

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東横線の8000系はクーラーの箱だけなんていうのがいましたね。

そろそろいなくなるっていうのが頷けます。

油壺マリンパークの230系(再掲)

再掲になりますが、前回の投稿が2013年6月9日なのでYahooブログ時代の小さな画像しかご覧になっていないかと思いますのでもう一度。

2021年9月30日で油壺マリンパークは閉館してしまうのですね。藤沢あたりからでも三浦半島の先端の城ヶ島や此処に行くのはちょっとしたドライブでとても気持ちよかったものです。帰りは横浜の方を回れば更に楽しかった記憶があります。


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デハ249+デハ250です。

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リベットがいい感じですね。

現役時代に大師線や空港線で撮影や乗車をしましたが、自分で音を録ったことがなくて、それが残念でなりません。四国でも音がないんですよね。

前回の投稿で撮影は1988年か1989年とか適当なことを書きましたが、あるサイトでは1988年に解体されたとありました。本当に屋外での車両の保存というのは難しいです。

2021.-9.12(日)本日の9863レはコレ!!

本日の9863レはEF65-2091にヨ8629+タキ1000-327、1000-800、243752,1000-206,1000-982,43024,43022でした。

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今日もこの区間では珍しいのが撮影出来ました。情報提供の大塚本町様ありがとうございました。

最後の多扉車京阪5000系の記録(3)

前回までの投稿から数年経過して新塗装になったのもありました。これはこれで似合っているかなと思います。
撮影は全て2013年2月2日です。

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5扉っていうのがなかなか圧巻です。金太郎様が書かれていた運転席前の[K]マークや貫通扉にあった手すりがなくなったりと小変化が見られますね。
ということで京阪5000系の記録はおしまいです。

最後の多扉車京阪5000系の記録(2)

京阪5000系の2回目です。撮影は全て2008年12月25日です。

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5扉の内で2扉分の位置に椅子が降りてきます。このアイデアは素晴らしいと思うのですが、小田急の場合には20m車4扉が一般通勤車の場合に標準化されているので、20m車の4扉位置そのままで更に扉を追加するということになると・・・出来ません。そんなこともあって小田急は多扉よりも扉の幅を大きくするということを選択したのかなと思います。

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通勤で長距離でなければ、この椅子でもそれ程の違和感なく座っていられそうでした。

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京阪5000系旧塗装の紹介はこれでおしまいです。

最後の多扉車京阪5000系の記録(1)

京阪5000系がいよいよ引退したようですね。座席がない6扉とか大きく開くワイド扉車とか様々な考え方でとんでもないラッシュに対応してきた各社ですが、そんな時代も終わって、様変わりしてしまい仲間はどんど引退をしていきました。
今回からご紹介の京阪5000系は多扉というよりも私はこの角ばった顔つきが好きでした。長野電鉄の0系などに少し似た感じかなとも思いました。


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撮影は全て2008年10月1日です。

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京阪といえばこの塗装だと思います。

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少し待てば撮影出来ましたので、この当時は沢山運行されていたようです。

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ラッシュ以外で締切になる部分は外から見て分かるようになってました。

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シルバーの扉の裏はラッシュ以外では天井から椅子が下がってきて座席になっています。

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扉にはラッシュ専用と書かれてます。

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あと2回ほど続けたいと思います。
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