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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

EF200の記録(200-19)

またまた間が空いてしまいましたが、今回はEF200型の19号機です。

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2009年11月21日にメトロの甲種を牽引する19号機です。東海道線の掛川-菊川間で撮影。

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2013年12月8日に掛川-菊川間を上る19号機です。

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2017年4月29日、いつもの掛川-愛野間の撮影地を下る19号機です。

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2017年6月18日掛川-愛野間を単機で下る19号機です。

小田急の名車2400形の記録(7)

小田急2400形を語る中では箱根湯本への乗り入れ(小田原-箱根湯本間は箱根登山鉄道線)が挙げられます。長らく駅設備の関係で中型車しか乗り入れることが出来ず、この区間の急行列車の冷房化が遅れる原因になっていました。また、途中駅のホーム長さが短く、特別に添乗した車掌さんがドアコックを扱ったり、その後は駅側で手動で一部車両の扉を開ける作業が続きました。そんな光景も過去のものになりましたが、HE車2400形が使用されていた時代を振り返たいと思います。

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HE車同士の交換も懐かしい風景です。

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短い、そしてHE車の扉とホームの高さも違ってお年寄りなどには乗降が大変そうです。

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手動で開けられた扉です。

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このようにホームからはみ出して停車しています。

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乗降位置の案内板です。

今回の画像を含めて以前掲載済の画像を多用していますが、一連のシリーズとして説明しておりますのでご了承ください。

佐久間レールパークの元身延線62系車両

身延線の画像をアップするのに色々と調べていて、62系と言われるアコモ改造車が4両*3編成あったことが分かりました。わずか10年程て淘汰されてしまったらしいのですが、その一部が佐久間レールパーク(2009/11/1閉園)に保存されていたと資料にありました。さて、数回佐久間レールパークを訪問していてそんな車両があったかなと思っていたら、先頭部だけ切り取られて部屋の中にあったのでした。今日まで知りませんでした。この画像の撮影日は2008年5月31日です。

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入館して直ぐにあった車両の前頭部がクハ66002です。

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特徴の下部の絞り方が62系ですよね。

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背面の車番が「ク」だけ見えてますが、それ以外の画像が無くて残念です。

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一応、シミュレーターモドキになってました。ブレーキ弁の位置は他の113系や115系とは違って低い感じがしますが気のせいでしょうか?
画像の計器盤のところに「シュミレータ」って書いてありますが趣味じゃないんだよなぁ(笑)。皆さんよく間違いますよね。

1980年8月10日 41年前の身延線撮影会(2)

昨日の続きの身延線です。

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しかし、来る車両がバラバラなんで乗車位置が定まらなかったことでしょうねぇ。。。

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身延線の低屋根はもう今は必要ないのでしょうか。

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側面のサボもしっかり付けていたのですね。

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貨物列車というとこういうのが地味に走っていた時代でした。

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久しぶりに見ていたら乗りたくなりましたけど、この手の車両は流電以外で保存車はどれくらいあるんでしょう?

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クモハユニ?凄いの造ってましたね。

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この電車、面白かったのに消えてしまい残念です。音だけでもないか探してみよう。

ということで41年前の夏の想い出振り返りはおしまいです。

1980年8月10日 41年前の身延線撮影会(1)

41年前に所属していた鉄道趣味のサークルで身延線撮影会に誘って頂き、合計6名で当時住んでいた藤沢から車で現地に向かいました。既に社会人になっていて仕事先は浜松で夏休みで帰省していたのだと思います。

当時は身延線は未だ旧型国電の宝庫でした。もっと行けば良かったのですが仕事での赴任先が浜松で社金人として慣れていく真っ只中であったこともあり長期休み以外はなかなか「鉄」出来ていませんでした。

コースは藤沢から松田を抜けて246で御殿場に出て沼津、富士、入山瀬、芝川で撮影したとなってますが、どれが何処なのか不明です。また、国鉄の形式にはうといのでいい加減な記述を避けるため、あえて何も書きませんww。


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撮影地に到着して暫くして明るくなってきました。当時大枚叩いて購入したビデオカメラ、デッキを一式を持って撮影に臨んだのですが。。。

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なんと、暑さですっかり予備を含めてバッテリーが放電してしまい、あっという間に撮影不可能になりました。もう帰ると泣きそうになっていたら、親切な仲間がカメラとフィルムを貸してくれて撮影したのが今回の掲載画像です。

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この近くの踏切で撮影開始しようとしたら、確かパトカーがやってきました。踏切で事故でもあったのかと見に来たとのことでした。それくらい車で沢山の人がカメラ持って早朝から電車の撮影に居るという姿は今とは全く違って珍しかったのかもしれません。

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しかし、様々な見たことないような車両がやってきて楽しくて仕方ありません。

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昨晩から集まって居たので寝ていないのに元気です。若かったのですね。

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連なる小窓とクロスシート、今だったら何度も通ったことでしょう。

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そして、ワインレッドになる前の、アコモーディション改造車と言われた車両です。車体だけが新製されて下回りは旧型国電のままでした。台枠から流用したのか裾の絞り方が変です。パンタグラフも流用に見えますね。スカ色が似合ってました。

午後まで撮影してから田舎の(自分はもっと先に居ましたけど)○○に向かいました。東名に乗ったのですが寝てないので眠くて危険でした。到着してからしばらく仮眠して元気回復しました。
もう一回身延線撮影会報告を続けます。

小田急の名車2400形の記録(6)

小田急の電車の番号で記憶に残る番号といえば「2478」ですよね。・・・と言っても若い方にはピンと来ないかもしれません。
2400形には1両だけ試作冷房車があったのです。運転室後ろのルーバーという名称の鎧戸のような部分は、冬はガラスを入れてそれ以外は外して風通しをよくするという代物でした。風が入ってきたのかどうかは何とも言えなかったです。それよりもこれのせいで車内が暗かったのです。2478にはそれがありませんでした。
夏場に近くなるとこれに乗るのが楽しみでしたが、なかなか乗れません。乗ってもそんなにキンキンに冷えた冷房という感じはしませんでした。2217+2218の空気バネ台車と共に当たり待ちということだったのかもです。


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1984年6月24日の撮影ですが、冷房は入っていませんので窓が空いています。

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車内は天井が一段低くなった感じで暗かったです。そして扇風機が付いてました。

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2478の種別幕が最後の方で黒基調になっていたのかどうか定かではありません。撮影日不詳です。

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多摩線の運用に入った時にこのような撮影が出来ました。

小田急の名車2400形の記録(5)

HE車の使われ方で特筆すべきは2400形4連にABFMの2連を付けた6連列車でした。元祖快速急行が行き交ったかつての東洋のマイアミビーチ(江ノ島海水浴場のこと)への夏季輸送では、このHE+ABFMの6連が使われていて、両開きと片開きの扉の開閉をいつも見たい見たいと思っていました。しかし、本鵠沼在住でしたので元祖快速急行は本鵠沼が通過駅でその扉開閉を見ることは出来ませんでした。現在の快速急行も鵠沼海岸と本鵠沼は通過ですね。10両の急行もでした。

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相模大野で撮影したものですが、新宿方から5000形、2200系列、HEの10両です。こんなまぜこぜ列車が頻繁に走っていたのですね。後方のHE+2200系列が多分相模大野で前4両の5000形と倂結したものと思われます。

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こちらは東北沢で撮影した2320とHE(2478含む)6連です。東北沢は上下共に退避する列車が多くてこのように編成全体を撮影するのは難しい駅でした。しかも8両しかない2320形がバラされて2478編成に付いているのですから、ちょっとレアだったと思います。

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最後部の屋根のコブ付きが2478ですね。

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2320であることが分かる画像です。白黒の2枚はスキャンがダメなやつで画質悪くてすみません。

全ての画像の撮影年月日は曖昧なので記述しません。

小田急の名車2400形の記録(4)

4両で使用された2400形というのをあまり新宿方の皆さんはご存知ないかと思いますが、晩年まで結構重宝に使われていました。

先頭が15.97mで中間が19.3mという全長70.54m(車両間が含まれているかは不明の情報)で、登場当初の小田急の駅の有効長さ70mに対応していたわけですが、昔の本鵠沼駅でいつも見ていた姿は先頭部が若干ホームから外れた位置に停まっていました。車掌さんが降りられないという不具合を避けるための運転士さんの気遣いだったのかなと考えています。


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江ノ島線の藤沢-片瀬江ノ島間は休日(昔の休日ダイヤは日曜日だけ)ダイヤだと新宿からの片瀬江ノ島行き急行以外は折り返しのHE車が運用されていましたので、午前午後の編成替え以外では同じのが行き来していました。1971年の撮影です。

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今となっては懐かしい方向幕です。ABFやABFM時代は方向版が使われていました。そのまともな画像がないのが悔やまれます。古い自体のものでした。これも1971年の撮影です。側面にサボ差しが残っています。

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5月連休や夏のダイヤの臨時列車ではこんな光景も見られました。1979年5月3日撮影です。方向幕を白いところまで移動させるのが面倒だったのか、途中で止めてますww。こういうのもなかなか面白くて好きです。今だと警告の対象になりそうですね。

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ラストは多摩川橋梁を上る新宿行きの4連各駅停車です。これで用が足りていた時代ですね。1982年6月12日の撮影です。

2021.-8.-8(日)ドクター東海 キヤ95 試9563D撮影

今日はドクター東海キヤ95が下りますよと鉄友さんから連絡があり、暑い中ですが撮影に出てみました。掛川-愛野間の通過は11:20頃でした。

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掛川駅を出て快走するキヤ95のDR1編成(1995年製造)です。望遠で撮影するとハイビームでピントが。。。

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寄りで1枚。この近辺ではDCの音は滅多に聴けないので新鮮です。

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後部もパチリ。

ということで暑かったですが、撮影出来て良かったです。この車両も一般の人からすると「電車」なんですね。これ、電車ではなくてディーゼルカーです。パンタグラフついてますが、検測用なんですよ。

小田急の名車2400形の記録(3)

2400形HE車と言えば、分割急行の小田原方で大型車の乗り入れが出来ない箱根登山線に向かう姿が思い出されます。この区間の利用者の皆さんには冷房化が進まない車両が毎度来て後ろの片瀬江ノ島行きは冷房車なんてことが多々あったと思います。
小田急からは2階建ての分割列車は特急以外で見ること出来なくなってしまいました。

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HE+ABFMの中型車10両の分割急行です。

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窓が空いていて暑そうですけど、扇風機と窓開けなんてこの時代は普通でした。

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これが後ろは大型車で冷房車の分割列車ですね。

HE車が無くなるとか、どうしても興味を持って撮るということが少なかったので、この手の画像はあまりありません。普通を記録して行くことの重要性を何十年も経って痛感しています。
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