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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

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小田急8000形運転席の変遷

今日は8000形の運転席がどのように変化したのかをお見せします。

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未更新時代の8066です。2007年4月30日の撮影です。

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登場時から変わらない機器配置ですが、列車無線の送受話器が変わっていますね。運転士の保護板も追加されてます。

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界磁チョッパ車で残った8055です。2015年6月27日の撮影です。

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大きく変わったのは、マスコンです。差し込み式の前後進切り替えレバーが無くなり、前後進レバーはマスコンと一体化してマスコンキーで取り扱いをするようになりました。ブレーキハンドルは残りましたが、運転士さんが持ち運ぶのではなくて、運転席助手席側にある箱にしまう形になっています。扉SWの鎖錠キーの扱いも同様です。

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更新された8266です。2007年8月14日の撮影です。

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デスク化されたワンハンドルの運転席です。

以上のように更新の過程で様々な変化が見られました。ツーハンドルの小田急車も数が少なくなってきてしまいましたので記録を急がないといけませんね。

小田急8251F(4)

8251Fの車内の様子の続きになります。

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Yahooブログ時代にも掲載したのですが、この通り扉SWは最初は9000形と同じタイプの鎖錠SW無しの下の棒を回転させて押し上げるタイプでした。その後、通常の鎖錠SW付きになっていくわけですが、どこでどの様な経緯で変更になったのかは良く分かりません。
私は、昔ながらの鎖錠SW方式が好きなので、今の赤いボタンを2個同時に押すタイプは意味がない設備だと思っています。作業順序が積み重なって、扉を開ける動作に移っていくという部分に安全第一を感じます。


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前後分割の放送可能なマイクですけど、当初は運転室と客室を行き来する扉の横にありました。今は乗降を見ながら左右の乗務員扉脇にマイクがありますね。

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登場時の車内はこの通り、寒色系でまとめられていました。

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最初の編成は東急車輛製でした。東急車輌で前面のブルーの帯が巻かれていなかったという姿を画像で見た方も多いと思います。

小田急8251F(3)

小田急の8251Fですが、どうやら休車になっているような情報が流れています。画像を見ると貫通扉が外されているようですし、復帰はないのかもしれません。

今日は搬入直後の運転台の様子です。撮影は1982年12月26日です。

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東急車輛から搬入直後の元の運転室です。押しSWが無くなりマスコンとブレーキ弁に傾斜が付きました。運転士保護用の防護板はこの時点ではありませんでした。

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運転士席の真上のSW類です。通過表示灯のSWが見えます。

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背面の冷暖房関係のSW類です。

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運転士席背面のSW類です。

明日は搬入直後の車内の様子をアップしたいと思います。



小田急8251F(2)

小田急8251Fの外観です。内装は明日からにします。1982年12月26日、大野工場での撮影です。
さて、今日(2021.-2.16)現在も8251Fは大野工場でお休み中のようですけど、今後の動向が気になりますね。


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しっかりと通過表示灯も生きていた時代ですね。

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8201です。

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8301です。

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8251のFS016台車です。

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種別行き先表示と窓のガラスの押さえ方など。

次回は内装関係をアップしたいと思います。

小田急8251F(1)

小田急8000形で最初に登場したのが8251Fでした。最近、少し話題になっている編成ですね。
8251Fが大野工場に運ばれた後に撮影するチャンスがありましたので紹介します。
撮影は1982年12月26日でメーカーから搬入されて整備と試運転の準備が行なわれていました。天気が悪かったです。
もう38年も前のことになります。このブログに来て頂いている方の中でもこの姿はあまり見られていないのではないでしょうか。
使用開始は1983年3月22日のダイヤ改正からでした。4両口の8051Fは1984年からとなります。


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新宿方8251側です。

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8551の正面です。幕はローマ字表記が最初はありませんでした。

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小田原方8551側です。

RF誌の紹介がこの位置だったので真似して撮ってます。外観と内装など登場時の姿をこれから紹介していきます。

2021.-2.14(日)JR東海総合検測車キヤ95 試9461D~9563Dが東海道線下る

キヤ95-101+キサヤ94-1+キヤ95-1の検測列車が本日東海道線を下りました。撮影は掛川-愛野間です。

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なかなか迫力ある音を奏でて走行してきます。

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パン上げはありませんでした。

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DR1という表記が見えますが、何の略でしょうか?

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おまけは、211系のブツ4両です。

2021.-2.13(土)『ゆるキャン△』天浜線で運行開始

2021年2月12日より表題の『ゆるキャン△』が運行開始しました。たまたま散歩していたら見慣れないラッピング車が通ったので、掛川駅で実車をゆっくりと観察してきました。
最近の天浜線は以前とは変わって積極的にイベントに列車(気動車)を活用していますね。決して『電車』と言わないでください(笑)。


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結構淡い色調のラッピング車で派手な感じはありません。8月末までの運行ということですので、桜と絡めたりして撮影していきたいと思います。

185系の思い出(4)

2010年10月9日にはこんな列車が新宿から走りました。天気が悪くて寒い一日だったように記憶しています。列車番号からして臨時列車のようですね。
185系を湘南色にした理由が今ひとつ理解し難いですが、あまり似合っているようには見えませんでした。この塗装車はこれしか撮影できていません。


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入線時点で反対側に「踊り子」通常塗装車が停車していました。

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グリーン車は帯まで付いていたので驚きました。

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大きなヘッドマークが目立ちます。

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この塗装で走行していた期間が皆目わかりません。

185系の思い出(3)

熱海駅での修善寺からと伊豆急下田からの併結の状況です。2009年9月20日の撮影です。

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修善寺からの編成が到着します。

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5両編成は東京方の前の方に停車します。

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伊豆急下田からの10両が到着します。

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前方の5両と併結作業に入ります。

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長い15両編成になって熱海駅を出発です。

185系の思い出(2)

熱海で撮影した185系の下り伊東行き普通電車です。撮影は2007年3月17日です。

かつて、6時台に藤沢から上りの普通で185系使用の列車があったりしましたが、下りもあって梅雨時などに着席できず通路にいると蒸し暑くて、着席の方に窓を開けてもらいたいものの、下から上に上げる窓でしたので風など入らずで最悪だなあと思っていました。
今のように直ぐに冷房や通風を入れたりしなかった時代があったので、昔はひどかったのです。


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普通と表示されたのが懐かしいです。この塗装も悪くないなと思っていましたが、全くの湘南色になった185系は似合いませんでした。暫くしたらこのブログで出てくると思います。

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伊豆急からの直通との顔合わせです。これももう見られませんね。
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