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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

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江ノ電の車輌(303)

303は結構撮影してました。

303 IMAGE0403

昔の極楽寺車庫で奥の方になりますが、なんとも小ぢんまりと落ち着いた場所でした。側面の表示が未だEKSで非冷房です。

303 PICT0078

極楽寺者この前ですが、これも非冷房で鎌倉方は305+355のようです。

江ノ電の車輌(302と353)

前回に続いて同じ種車からの画像を。

302 PICT0053

オデコライトの画像はこれくらいしかありません。峯ヶ原信号所を出て行くところのようです。

19770724 353

353もオデコライトはこれしかないです。それくらい302Fと303Fは地味な存在で撮影対象には昔はなっていませんでした。やはり今の普通の状態を残すっていうのが大事なんですね。

江ノ電の車輌(302+352)その2

302+352の続きです。

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重連運転を始めた頃のものと思います。車庫からはみ出しそうになって停車していますね。最初の重連は300形のみで500と600と800はそれぞれ2連のままで重連と交互に運転されていました。また後述しますが、そこに2扉時代の800が入ると遅れが遅れを呼んで1本ウヤとかになってました。302側はZパンタです。

352-2.jpg

そして、302+352は資生堂サンオイル、ナツダカラクナッタというキャッチコピーの広告電車として、305+355と共に走行しました。これは未だラッピングなんて無かった時代でしたから、塗装で装飾されて結構目立っていました。カラーで撮影していないのが悔やまれます。


302-3.jpg

ノーマルな状態の302+352です。

遠州鉄道1001+1501引退(1/27)

引退してしまった赤電1001+1501ですが、こんなイベントの時に並びを撮影していました。

20180428-00109.jpg

撮影は2018年4月28日です。まさか、こんなに早く居なくなるとは思いませんでした。解体されてしまうのでしょうか。

江ノ電の車輌(302+352)

最近のTwitterなどを拝見していると江ノ電を非常に暖かく見守っている方々が居ることに気付きます。記録を取って後世に残して行くというのは重要なことですし、それぞれの時代に簡単に説明できない事もまとめておくと後々本当に参考になるのです。
そんな環境なのは喜ばしいことだなと思っております。


さて、ちょっと間が空きましたが、今回は302+352です。
303+353と共に1957年に101,102,103,104をそれぞれ東洋工機で2両2編成の連接車化して生まれたものとのことです。
何となく302+352と303+353似ているなと思ったのは間違いではなかったようです。


302-2石上

この画像は石上駅です。図書出版彩流社さんが発行された「江ノ島電鉄&湘南モノレール 街と駅の今昔物語」というのに掲載して頂いた画像です。買ってください(笑)編集制作は株式会社夢現舎さんで画像に関してやりとりをして頂きました。

352-1.jpg

こちらはオデコにパンタも欠けていますが、竜口寺前で撮ったものです。1972年の夏に撮影したものと思います。やはりオデコのライトがこの車両には似合っていますね。

遠州鉄道1001+1501引退へ

遠鉄赤電の1001+1501が明日2021年1月27日までで運行終了とのことです。
1983年11月に高架化前の遠州馬込駅から搬入され、185年12月の高架完成の前を知る車両でした。30系からのデザインを一新して現在までの車両に継承されています。
この車両が引退というのは驚きで、何処かに貰い手はいないのかなと思ってしまいます。

20100814-1501.jpg

20100814-1001.jpg

こんな世の中の状況ですので、撮影に行ってません。2枚ともに2010年8月14日の撮影です。

今日は小田急の仕業表のお話です。

会社によって様々な呼び方がありますね。運転時刻表とか何とかカードとか行路表とか。
私は小田急のは『仕業表』だと思っています。
最近は車掌さんも運転士さんと同じようなものを持っていますが、以前は車掌さん用は小さなものでダイヤグラムを挟んだ入れ物に一緒にしていました。
そして、昔からの運転士さんの使うこの仕業表ですが、当初は手書きでした。
工場などで作業を指示する書類を作業指示書と言いますが、これだって昔はすべて手書きでした。それがいつの間にかPCで作るようになって味気ないものになっていきました。
これからお見せするのも手書き時代の方が見易くないでしょうか。


①

手書きとハンコの併用によるものです。出発の部分の大きな文字や太さを変えた書き方は別の仕事でも参考にさせて頂きました。

②

これは手描きながら、駅名を並べたシールを貼ってます。以前、ヤフオクでこのシールを購入したことがありました

③

そして、とうとう出てきたPCで作った感じのものです。手書きよりも逆に見づらいというか頭に入ってこない感じがします。

④

これは初日の湘南急行のものです。シールで作っていたのをそのまま置き換えた感じがします。

⑤

こうなると列車番号ぐらいは色変えたほうが良いんじゃないかなと思ってしまいます。

⑥

そして、様々な種類があって、どんな基準で使うか分からないもの。これは『各停』であることを周知するために使用するのだと思いますが、色々とあるんですよね。

ということで、以前はファミ鉄などの即売会で販売されたこともある『仕業表』ですが、最近は売られることもありません。是非とも販売を復活させて欲しいなと思います。古いダイヤグラムも同様です。復刻ダイヤももっと出して欲しいなと思います。

江ノ電の車輌(301+351)江ノ電のその2

1灯時代のがありました。今は無き前の鵠沼鉄橋での撮影です。1973年5月5日です。

19730505 351鵠沼

前面窓枠もサッシ化されておらず、昔ながらの顔立ちです。

351.jpg

ライトが2灯化されても雰囲気は大きく変わっていない感じがします。
この極楽寺車庫の前の道路ですが、狭いので車で行って駐車すると近隣の方からクレームが来るということで、いつもドキドキでした。停める方が悪いわけですから言い訳は出来ないのですが、それからはなるべく電車で出掛けるようにしてました。
藤沢からは土日は全部裏道走行で大渋滞の134号を避けてました。東京からの友人を案内するなど、懐かしい思い出です。

江ノ電の車輌(301+351)

撮り貯めている江ノ電車両を紹介していきます。

301+351は私が最も江ノ電らしい車両として好きだったものです。
もと都電150形154・155(1927年・田中車輛製)の車体を載せていた113・114(2代目)を連接化し、1956年に誕生した江ノ電最初の連接車ということらしいです。

301.jpg

実際に乗車した思い出としては、何故か乗務員室扉が取り付けられる前のものが多いです。扉SWが2個あってコノ戸、他の戸というのを窓から車掌さんが顔だけ出して扱ったりするのが面白かったのです。運転室もポールで仕切られていて開放的でした。

小田急2400形HE車について(7)

1972年頃の5月連休の片瀬江ノ島発の臨時急行相模大野行きです。多分、既にABFの運用ではなかったかと思います。それでも期待して出掛けたのかもしれません。
HE車の急行なんてと思いながら撮ってましたが、今になってみればもう少しまともに撮れなかったのかねぇ。。。なんて考えてしまいます。


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4両で上って行って相模大野までです。江ノ島で遊んだ皆さんの足になったのでしょうか?
撮影は鵠沼海岸-本鵠沼間ですが、この付近もかなり風景が変化したと思います。それと柵の中の枕木の上に載って撮影してますが、今なら電車が止まります。こんなことは絶対にやめましょう。やってはいけないという見本です。
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