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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

富士急に行った小田急のABF車(6)・・・クハ1963

今日はクハ1963です。

◆1963-1

昭和46年頃の厚木駅の海老名方での撮影です。ネガがガビガビですみません。経堂行きの上りが小田原線からもあったのですね。

◆1963-2

永山折り返し時代です。

◆1963 -3

多摩センター折り返し時代です。


富士急に行った小田急のABF車(5)・・・デハ1913

今日はデハ1913です。

◆1913 (3)

昭和45年頃に撮影した新塗装が各車両に施工されている頃のものです。帯の幅が違っています。向こう側の1914+1964は旧塗装のままですが、残念ながら撮影していません。
更に片瀬江ノ島からABFが4連で新宿まで行っていたという証でもあります。


◆1913

上の画像との帯の部分に違いがあるのが分かるかと思います。

◆1913 (2)

多摩線を走っている頃にも側面のサボ差しは残っていたようですね。

富士急に行った元小田急ABF車1900形・・・その4(クハ1962)

今日は、クハ1962です。

◆1962

相模大野の方向幕が出ていますが、2連での新百合ケ丘=永山折り返しは行き先板を引っ掛けていたので、4連運用のままの表示かと思います。

◆1962 (2)

多摩センターまで開業して、方向幕に折り返し表示が出ました。

◆1962 (3)

永山駅での折り返しですが、お客さんがほとんどいなくて寂しい限りです。今とは全く違う世界ですね。


富士急に行った元小田急ABF車1900形・・・その3(デハ1912)

今日はデハ1912です。

◆1912

2連の復活は、当初2100形を使うとの話だったのですが、実現しませんでした。2100形は中間は棒連結器で固定化されていて、前灯も1灯のままでしたので反対があったのかもしれません。詳細は不明です。

◆1912 (2)

多摩線の運用を交代した車両なのですが、方向版を付けたまま大野に戻ってしまったようです。

◆1912 (3)

お客さんも少なかった時代のABF2連の2運用による往復運転は寂しいものでした。まさかの2連化だったので、4連時代のABFの多摩線画像が開通日以外にはありません。

富士急に行った小田急のABF車(2)・・・クハ1961

今日は昨日の1911の相方の1961です。

◆1961 (2)

方向幕箱上の爪があって、更に「回」看板を付けていた時代です。

◆1961-2

爪が折れてしまったので種別板掛けの爪に往復用の看板を付けていました。これは富士急に行ってからもそのままでしたね。

◆1961 (3)

趣味的には残念でしたが、方向幕に回送が入ってしまいました。方向幕箱の爪は折れたままですね。

以上が1911+1961でした。これからも続きます。



富士急に行った小田急のABF車(1)・・・デハ1911

これから暫くは2連の富士急に譲渡されたABF車8両を取り上げます。
今日は、デハ1911です。

◆1911 (2)

この頃は、多摩線の運用で2連で走っていましたので、大野に行くと2本が昼頃に入れ替わって停車していました。

◆1911 (3)

後半では方向幕に回送表示が入ってしまいましたが、それまでは「回」の看板を掲げていました。その「回」の裏が「急」とか「通勤急」だったら良いのですが、この時の1911は古い自体の「廻」と「臨」でしたので、それで撮影をお願いしました。

◆1911 (5)

本鵠沼-鵠沼海岸間です。1911が先頭と思うのですが、間違っていたらごめんなさいです。


富士急に行った元小田急ABF車1900形・・・その2

昨日の続きになります。

⑥5233-1913

モハ5233(元小田急デハ1913)です。

⑦5263-1963

クハ5263(元小田急クハ1963)です。

⑧5263-1963-2

クハ5263(元小田急クハ1963)です。

⑨5265-1964

クハ5265(元小田急1964)です。これ、助手席側のワイパーが変わった位置に付いていたのが、クハだったか、デハだけだったのか思い出せませんでしたが、両側みたいですね。

⑩5235-1914

モハ5235(元小田急1914)です。助手席側のワイパーを外した跡がありました。

小田急時代の画像は、これから探してみます。




富士急に行った元小田急ABF車1900形・・・その1

小田急からABF車の2両編成組が4本富士急に譲渡されました。1911+1961~1914+1964です。
富士急では4と9は車両の番号に使わないの習わしなので富士急では番号が飛んでいます。
元小田急の車番の若い方から5231+5261、5232+5262、5233+5263、5235+5265となりました。

もう少し考えて撮影すれば良かったのですが、いい加減な撮り方で一応全車記録はしました(形だけ)。


①5231-1911

モハ5231(元デハ1911)です。

②5261-1961

クハ5261(元クハ1961)です。方向幕箱の行き先板引掛けの爪が小田急時代末期から折れて無くなっていました。

③5261-1961-2

クハ5261(元クハ1961)で右の相方が分かりません。

④5262-1962

クハ5262(元クハ1962)です。

⑤5232-1912

モハ5232(元デハ1912)です。

富士急では小田急時代の扉開閉のSWと共に鎖錠SWも残されて活用されていました。ABFとABFMで残っていました。秩父鉄道の800形も同様だったかと思います。

残りは次回に。。。




小田急車に置換え前の富士急車両

情けない話ですが、はっきりした撮影日が不明です。前回のものとほぼ同じ時期かと思われます。

クハ3661_モハ3631

多分、クハ3661+モハ3631ではないかと思われます。

クハ3662

こちらは色褪せてしまったクハ3662です。手前の貨車もきちんと撮影するべきでした。

モハ3102

モハ3102です。

モハ3101

モハ3101側からの3100形です。これくらいしか撮影していません。

ということで、Yahooブログ時代に紹介済ですが、元小田急のABF、ABFMへといきたいと思います。


1979年9月23日 富士急の国鉄譲渡車両7000形

1979年9月23日にこんな車両達を撮影していました。40年も前の話ですね。もちろん富士急塗装になってからです。
河口湖の駅も今とは全く違う雰囲気で周囲には家がありませんね。

国鉄からの車両は2連が3本だったそうで、この日に短時間ですべて撮影していました。14系が底をついたので12系になったというところも面白いです。なので1両だけクモハが3扉です。
そして富士山麓電気鉄道からの電車も撮影していて今になってみると何とラッキーなことかと思ってしまいます。


クハ7061_モハ7031

クハ7061(クハ16425)+モハ7031(クモハ14007)側です。

クハ7062_モハ7032

クハ7062(クハ16467)+モハ7032(クモハ14009)です。

モハ7033_クハ7063

モハ7033(クモハ12050)+クハ7063(クハ16013)です。

モハ3603

これは富士山麓電気鉄道開業当初からの車両を1961年から1966年にかけて近代化改造した3603他1両です。

どんどん時代とともに変化していく富士急の電車たちをもっと記録していきたいものです。
当初の考えから昔の車両紹介になってしまいました。
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