前回に続いて富士急1000系の1202Fになります。
この塗装になったのは非常に喜ばしいことと思っていました。結構似合っていると思います。
撮影は前回の撮影から4年後の2014年1月25日でした。
このブログにもお越し頂いているお二人にお誘い頂いて訪問しました。この時に様々な元京王5000系の富士急1000系を撮影出来て本当に良かったと思っています。
元々の京王5000系が格好いいので全てよしになってしまうのですが、このデザインは50年前に見た時に本当に斬新で素晴らしいなと感じていました。
大きなヘッドマークが付いています。
1枚目とは反対側になります。
次回は引退したものを含めて他の1000系をアップしたいと思います。
元京王の5000系である富士急の1000系は1000+1100の2連2本、1200+1300の2連7本(1204Fは無し)の9本ありましたが、既に6本が廃車又は新天地へ旅立ち、残りは1001F(京王色)、1202F(富士急塗装車)と富士登山電車の1205Fの3本のみとなっていました。
この度、10月下旬で1202Fが引退するということで、富士急で活躍する元京王の5000系をアップしていきたいと思います。
最初は今回引退の1202Fです。撮影はすべて2010年1月16日です。

開業80周年の記念事業の一環としてこの富士急カラーに塗装変更されたのですね。私は似合っていると思います。

大月駅での並びです。



最初の記載で間違った事を書いていましたので、調査して書き直しをしました。ご覧になった方には申し訳ありませんでした。
2020/10/17訂正(管理人)
2016年7月18日に初めてのリゾート列車乗車ということで、びゅう旅行商品専用のコンパートメント席に小田原から伊豆急下田まで乗車しました。なかなかのおもてなしと派手さのない良い雰囲気の車内であっという間に終点に着いてしまいました。
あれから4年、まだまだ活躍するかと思ったら、コロナ禍の自粛で引退セレモニーも無くひっそりと運行を止めて、既に廃車回送されてしまいました。
沢山お金を出せば豪華な列車で贅沢なな料理やお酒が振舞われていますが、そこまでしてという方にはこの伊豆クレイル号はうってつけだったはずなので、引退が残念でなりません。
2016年7月18日の乗車画像は、関係者の皆さんも含めて顔出しは無しということにしました。予めご了承ください。保線の皆さんはお顔隠していません。深い意味はないですww。

小田原駅の発車番線には階段を降りると途中にこんなものがありました。その前に伊豆クレイル乗車専用待合所というのもあったんですよね。

振り返ると階段にはこんな絵が描かれていました。

お綺麗な社員さん(あまりこういうことはセクハラになるので書くべきじゃないですけど)が横断幕を持ってました。

出発すると車内放送で左手をご覧下さいということで、こんな方々もお見送りに加勢してました。お疲れ様でした。

男性社員さんも頑張っていたので撮ってあげました(笑)。

熱海駅で少し停車したので、色々と撮影しました。

先頭車前には記念撮影スペースがありました。

こんな並びもう見られませんね。
651系伊豆クレイル号お疲れ様でした。
台風一過となった遠州地区です。非常に良い天気になり、夏が再来したような気温になりました。

予想外にキヤ*2のレール輸送が来ました。レールを満積載しているのを撮影するのは初めてかもしれません。

東京方の後方を撮影。

3075レはEF64-1035牽引でした。

今日は久しぶりに富士山が見えていました。これから綺麗に見える季節です。

今日のメインの9863レのEF65-2067牽引のシキ1002です。この編成だけっていうのは撮影が難しいですね。
江ノ島には江ノ電が所有する『江ノ島エスカー』なるエスカレーターがあります。私は東京から藤沢に移り住んで暫くしてから江ノ島に連れて行ってもらった際に親が有料であることに非常にびっくりしていたのを見た記憶があります。
今時にエスカレーターで金取るのか?って思う方も多いかと思いますが、開業から10年ちょっと経過した後にもそう思った人が居たわけです。
それで、以降かなりの回数江ノ島に行ってますが、これを使った覚えがありません。
そして、江ノ電のバイトを何回もやらせて頂いている頃にこのエスカー乗り場に行ってくれと頼まれたことがありました。それと藤沢から高根という小田急鵠沼海岸駅の近くまで走っていたバスがかなり後までワンマン化されず車掌さんが乗務していて、この車掌をやってくれないかというのもありました。
両方ともに電車が好きだから駅をやりたいと断ってしまいました。今考えると両方経験しておけば楽しい思い出になったのにと悔やまれます。ツーマンカーの車掌なんてかなりレアな経験になったのに。。。ガキだったんですよねぇ。
そして画像は10周年の記念券です。

これは1959年7月23日の開通から10年で1969年7月の発行になり、昭和44年なので藤沢に既に住んでいた時期になります。
親が誰かと行った際に購入したものか、貰ったものか定かじゃありません。
この時点でこのような記念乗車券的なものを買える年齢ではありませんでしたので。。。
昨日のコメントで600形は世田谷線から譲渡の後でブレーキ弁も変わってますよとのお知らせがありましたのでちょっと比較してみましょう。
マスコンは変わっていますね。一目瞭然です。回転角度の大きなこのマスコンが好きだったのですが、変わってしまいました。
600形を外からかなりの枚数撮影しているのに、江ノ電時代に乗車して車内を撮ったものが無いのが悔やまれます。
世田谷線に1067mmになったまま里帰りした601を宮坂で撮影したのも11年前になってしまいました。

1970年7月8日の撮影です。世田谷線89の撤去前の運転台です。半世紀前ですね。

89の鎌倉方から江ノ島方を向いて撮影したものです。

マスコンは世田谷線のままで使用開始したみたいです。ブレーキ弁はこの時点で変更済み??

江ノ電仕様になって更にマスコンが取り替えられた運転台です。
江ノ電の603の話に戻ります。
1983年8月の鎌倉のビル工事完成に伴って1982年10月25日から鎌倉駅に留置されて作業員詰所になっていた603は極楽寺に戻ってきたようです。
それから1983年12月1日の解体までの間に、たまたま撮影ができたものかと思う画像がありました。
この時点で604が未だ江ノ島に留置されていたのかは定かではありません。

撮影日の記録がないのが惜しいところです。

側面の表示が鎌倉駅に留置されたことを物語っています。

603の運転台と思われますが、このマスコンは世田谷線から譲渡されて時の物とは違っています。多分静鉄20系のものではないかと思います。

これがそうかなと思っていますが違っているかもしれませんね。1977年7月24日の撮影です。
世田谷線に保存の車両のマスコン調べたいですね。自分で撮影していたかと思います。
今日はお初のメトロ18000系の甲種輸送があると聞いてワクワクしていました。撮影場所をどうするか悩みましたが、最近のいつもの場所にしました。
その前に東方向で撮影していた鉄友さんから65が下ったとの連絡。すぐさま東京方を見ると65がやってきました。なんとかギリギリで撮影できました。大幅遅延の3071レだったらしいです。

遅れ3071レらしい65-2092牽引列車です。撮影出来てラッキーでした。

本日メインの8862レのメトロ18101Fの甲種です。

東京方です。
撮影は東海道線愛野-掛川間でした。
休日自衛隊様からご丁寧なコメントを頂きまして、やる気が出てきました(笑)。
画像1枚ですが、603+604の江ノ電での最初の姿を極楽寺工場で撮影したものです。

撮影年月日は1979年11月3日です。
やはり、オデコの大きなライトがこの顔には似合います。
私ごとですが、アルバイトはこの江ノ電でしかやったことがありません。稲村ヶ崎、極楽寺、鎌倉でそれぞれ勤務させて頂きましたが、一番楽しかったのは鎌倉駅でした。後半は鎌倉駅をやりたいと申し出ていました。
改札や放送、切符の手売りもやらせて頂いて、特に正月の大混雑の中でラッチに座りキップをパンチで切るのが最高でした。お金もらうよりも鉄道に接していられるのが幸せだったのだと思います。
極楽寺の時はTVドラマの放映中で週末は大混雑で、一緒に写真に入ってくださいと何度も頼まれて恥ずかしい思いをしました。
一度、4両の車掌さんが回れない側の2両に乗って車内補充券を売らせてくれないかと頼んだのですが、会社側で熟慮の結果ダメになりました。やはり安全上の教育がされていない者が何かの時に何も出来ないのでは話にならなかったのだと思っています。
でも、やりたかった(笑)。
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