江ノ電600形関係の画像を探していたら、鵠沼駅が仮駅舎だった頃の画像が出てきました。
1982年4月23日から旧藤ヶ谷停車場跡地に仮駅と交換設備が設置されました。完成は1985年5月25日だったとのことです。
江ノ電が好きとか言いながらこれしかないのが情けないところです。

鎌倉方です。奥に片面の鵠沼仮駅が見えます。

藤沢方です。電車は交換中は駅にいないわけで、遅れとか多発していたのではないかと考えてしまいました。
動物病院は我が家のわんちゃんがお世話になっていました。
道が狭いので、車で通りすがりに少しだけ撮影したのだと思います。撮影日は不明です。
最近こいうのが多いですけど、調べているうちにウィキペディアなどの情報との相違に遭遇して何だか分からなくなるという状態が多発してます。ネット情報がすべて正解ということはないですが、鉄道趣味のこのような部分は趣味的には楽しくもあり、詳細不明で終わるのは残念でなりません。
先日、603と604はそれぞれ極楽寺留置と鎌倉駅5番線留置でという情報に、画像から603が鎌倉駅だと書きました。この撮影日がどうやら東海道線を走行した小田急LSE車との比較試験運転をした183系の撮影日、1982年11月27日の帰りだということが判明しました。これも怪しいかもですが。。。
603+604は既報の通り1981年12月20日に運用離脱しています。それから1年後は603が鎌倉にいたのです。そして今回の画像の極楽寺の603(単独留置)は、1982年7月17日なのですけど、付近に604はいません。ということはこの時点ではもしかして604が鎌倉に居たのでしょうか?そうなるとウィキペディアに書かれていることは嘘ではなくなります。
そして、新たな疑問としてなんで1983年12月1日の除籍まで603と604は残っていたのか?どこに居たのか?です。
どなたかご存知の方は教えてください。ボロボロになっているので今更108とか107挟んで3両にしようなんて企みは無理だったかと思うのですが、そのまさかだったのでしょうかねぇ??
40年近く前の話を蒸し返してもなかなか答えは出てこないようです。

鵠沼鉄橋を渡る603+604です。1973年5月撮影です。これくらいしか604の画像はないです。

そして、1982年7月17日に極楽寺で単独留置される603です。

極楽寺の工場前を通過する601+602です。602が651になっていない時代ですね。
先日掲載した鎌倉駅に置かれた603のことがあったので、現役時代の画像を探したのですが、ほとんど無いことに気付きました。
車両は1970年10月31日付で玉電(世田谷線)を廃車になったデハ89と90で1970年の12月15日から603+604として運用開始し、1981年12月20日に1101+1151の運用開始と入れ替わりで離脱したようです。
その後、ウィキペディアの記載では603が極楽寺車庫内留置、604が鎌倉駅5番線に留置となっていましたが実際は603ですね。
江ノ島駅構内にも留置とも書かれていましたが、それを確認したことはありません。

画像は1972年8月に極楽寺で撮影したものです。隣の801+802は未だ2扉のままで厄介者扱いされていた頃です。乗りたかったのですが、ほとんど乗った記憶がありません。
片や603+604はコンプレッサーに掛かったベルトが滑っているようなブーンという音がしていて特徴があるものでした。夜間に空いた列車で峯ヶ原信号所で波の音を聴きながら交換待ちし、走行後はそのブーンを聴くのが楽しみでした。
600形はやはりオデコのライトとこの原型の前面窓が似合っていたと思います。
今朝の貨物列車です。西の方面から明るい空が見えたので安心して傘なしで撮影場所に居たのですが、結局後半は小雨になって視界も悪くなりました。しかし、晴れの人は違う雰囲気の画像を残すことが出来た感じです。

最初は5085レのEF210-106です。この塗装定着するのでしょうか?

5091レのEF210-3です。これはノーマルな姿。

本日のメイン、54レのEF66-27です。下りの普通列車と被りました。

何とも言えない霧雨とライトのお陰で今までとは少し変わった雰囲気になりました。

何度撮っても精悍な感じが衰えないなあと思います。

今回、54レよりも期待していたのがこの5071レのEF210-323でした。キャラ押し桃で最近の増備ELですから綺麗です。

キャラ桃を絡めるには広角じゃなきゃとコレになりました。掛川駅で一旦停車するので発車後の速度が上がらず、撮影する側としては好都合です。

側面のキャラです。
撮影場所は、いつもの東海道線掛川-愛野間でした。
1980年前後かと思いますが、江ノ電の603が鎌倉駅で何かの工事の作業員詰所になっていました。
今だと色々と厄介な問題もあるかと思うのですが、この頃は大丈夫だったのでしょう。
どうやって持ってきて、そうやって片付けたのか、全く分かりませんし、この時点で604はどうなっていたのかも不明です。

1000形は登場からそんなに経過していない頃かと思います。

持ってくる時は押しながら運んできたはずですね。推進運転です。

看板が色々付いてますから用途が分かるかと思います。

この電車は動きませんの表示です。

プロパンガス引き込んだりしてますが、暖房用なのか調理に使うコンロ用なのか、見ておけば良かったです。

とにかく今の時代ならば申請がどうとか火気厳禁だとかうるさいと思いますから、多分やらないんでしょうね。
東海道線掛川駅の西側(山側)にある公園に生態保存されているSLが前回の(多分)アスベスト除去工事以来の修繕工事に入り、ほぼ本日までに工事が終わりました。
整備以前は側面に石を投げつけられた傷や汚い靴で登った汚れ等があって悲惨な状況でしたが、綺麗になりました。
願わくば汚さないように大事にして欲しいと思います。
このSLは川崎重工兵庫工場で1938年12月22日に製造されたもので、1971年8月19日に敦賀で廃車になったものを譲り受けたとのことです。
私はてっきり二俣線に絡んだ機関車かと思っていたので、なんでこの地にやってきたのかなと少し疑問に思っています。

8月7日撮影、白いのでまさかの大井川鐵道のようなことになるかと心配してしまいました。

8月11日撮影

8月17日撮影

8月18日撮影

8月24日撮影

8月31日撮影

9月11日撮影

9月17日撮影

9月21日撮影、せっかくここまで綺麗になったので大事にして頂きたいものですね。