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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

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2004年12月10日小田急湘南急行の最終日(その2)

最終日の湘南急行を車形違いでご紹介します。

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湘南急行とは関係ないですが、車掌さんが乗務員室扉を発車直後に閉めていますが、これも今は見られない光景です。
現在の発車の仕方は皆さんご存知の通りで、ここまでやるかと言ってしまうくらい『安全第一』の所作になっています。
発車時の扉閉め安全確認後の車掌さんの発車合図ブザーもJR東海などでも当たり前にやっていますが、何となく小田急の影響を受けていないのかなと思ってしまいますね。

2004年12月10日小田急湘南急行の最終日(その1)

現状の小田急沿線に足を向けることが出来ないので過去画像ばかりで恐縮です。

何処かでww「湘南急行」が盛り上がっていましたので、登場よりもその最終日の様子を数回に渡ってお届けします。
いつもと変わりなく翌日からは発展的に「快速急行」になりました。

2002年3月23日のダイヤ改正で登場した素敵なネーミングの「湘南急行」でしたが、わずか2年半の短命でした。小田急ファンの中にはその2年半に撮影が出来なかったことを悔しく思っている方が沢山居るかもしれません。
是非とも何時の日か「湘南急行」が復活してくれるといいなと趣味的には思っています。

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改正前日の藤沢駅のホーム表示や快速急行登場の案内垂れ幕です。普通のお客さんからすれば、速達で座れて、本数が増えれば名前が変わろうが関係はないのですが、趣味的には非常に残念でした。
快速急行というのも、元祖はその種別を表示したものはなくて、○急看板だったり急行幕でしたから、快速急行というのが復活するというのもそれなりには楽しみで期待もしていました。

動向の気になる小田急1081F・・・その七⇒廃車解体搬出へ

以前から動向を気にしていた小田急1081Fが廃車となり、2両を残して解体搬出が進んでいるようです。
画像も出し尽くしたかと思っていたのですが、2004年8月9日に経堂で撮影したのがありました。

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各停の新松田行きに充当されてます。16年前ですから1081Fをそんなに気にしていませんでした。後ろには経堂アパートも写っています。この建物がある意味経堂駅の変化を見るための基準になっていたのですが、建て替えられてしまったので、昔の地上時代の画像との比較が非常に難しくなりました。

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経堂駅が完成途上なのでRSEが左側を通過しています。両車両共に小田急からは消えてしまいました。

2020.-7.10(金) JR貨物2059レ EF66-27

本日の2059レはEF66-27牽引でした。

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撮影は東海道線の掛川-愛野間です。

小田急から地方私鉄に譲渡された車輌(9)・・・伊予鉄道(1901と1902)

伊予鉄道にも小田急ABF車の中から1901と1902が譲渡されました。伊予鉄道では、正面の非貫通化と運転台の中央への移設が行なわれて、すっかり以前の面影は消えてしまいました。三岐鉄道に譲渡された元小田急2100形よりもかつての面影が無く、何だか分からなくなってしまいました。
伊予鉄道訪問日は1983年8月13日でした。1901(伊予鉄125)と1902(伊予鉄124)をしっかりと撮影しているにも関わらず、ネット情報も何もなかった時代でしたから、元小田急車と思わずにスルーしてしまいました。なので、乗車する機会があったのに乗りもせずにホテルに帰ってしまったのが悔やまれます。

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伊予鉄道に譲渡される前に大野検車区に留置中の1902です。なんとライトが1灯に戻されています。ライトケースは荷電の2灯化に使われたようです。近くで撮影したかったです。

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古町の工場横で待機する124(元小田急1902)です。車庫の見学をした際に出庫してしまいました。

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此処で元小田急1901の125に再会しているのに乗車しませんでした。

当時の古町の工場で見学の際にお聞きした話では、置いてあったABFMの8両分の台車は、121、122、131、132、124、125、301、302に使うということでした。FS316とFS321だと思います。実際にそう使われたのかは不明です。
124と125にABFMの台車が付いたのを確認したかったです。

小田急から地方私鉄に譲渡された車輌(8)・・・大井川鐵道-5(1906)

1906のラストの状態です。この位置にかなりの期間放置されていましたが、何時解体されたのかは不明です。
3両編成のままで置かれていました。
東海道線から見られた方も多かったかと思います。
今回の記事を含めて、Yahooブログ時代に掲載した画像があるかと思いますがご了承ください。

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留置されてから間もない頃と思います。

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部品類もそんなには外されていませんでした。

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塗装の痛み等はかなりあったようです。

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広幅貫通路が埋められたところです。側扉を上手く使って埋めたようですね。

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「あかいし」の側になります。

小田急のABF車両は1600形も含めて1900形、2100形などかなりの車両が地方私鉄に譲渡されて活躍しましたが、現在は残った車両がなくて残念な限りです。


小田急から地方私鉄に譲渡された車輌(7)・・・大井川鐵道-4(1906)

大井川鐵道ついでに譲渡された1906についてもご紹介します。
1906+1956+1955+1905の編成で小田急で活躍していましたが、1906が大井川鐵道、1955+1905は岳南電車へ譲渡されました。
1906はご覧のように小田急時代とはお顔が整形されて左右の窓が面イチになったり、貫通扉横の手すりの上部がカットされたり、尾灯が下に下ろされて小田急時代とは違うものになったりしました。また、広幅の妻面は埋められました。
使用方法としては、電装化されて元北陸鉄道の6051+6052(元はクモハ6001)の牽引車のような形になってました。乗車した際も1906に乗りたいと言ったら怪訝な顔をされてしまいまして、閉まっていた扉を開けてくれました。その際に車内の画像を撮影していないのが悔やまれます。
最後は新金谷から東海道線に向けての廃車置き場に数年放置されていて無残な姿になっていました。
入線が1976年3月で廃車が1996年3月だそうですが、廃車前の数年間は廃車置き場にあったようです。

1906大野

元気な小田急時代の大野検車区での姿です。

1906大鉄発送準備

大井川鐵道に譲渡される前の大野工場での準備の状態です。

金谷1906-2

お客さんを乗せるつもりのなかった1906ですが、方向幕にはしっかり行き先が表示されていました。回してみたら「快速」というのがありました。

金谷1906-1

上に書いた変化点が分かる画像です。結構手が加えられていたのですね。

金谷あかいし(くたに)

1906とペアになっていた6051+6052側です。北陸鉄道時代が「くたに」でしたが、大井川鐵道では「あかいし」になっていました。

小田急から地方私鉄に譲渡された車輌(6)・・・大井川鐵道-3

1081Fの話は置いておいて、今日も大井川鐵道に行った小田急SSE車3001*5です。
私は惜別乗車をこの編成の「あさぎり」でやりました。ブルーのシートはこの3001*5しか残っていなかったのです。

訪問は運転開始日の1983年5月1日でしたが。全く盛り上がることなしのスタートだったようです。
小田急ファンにしてみれば、これから大井川鐵道で本体から引退してしまうSSE車が活躍してくれるわけですから、将来に非常に期待したわけです。

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特製のHMも付きました。

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列車名は「おおいがわ」でした。

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この地域で宣伝するより他に方法が無かったのかなと思います。今も大事に使われていたら・・・と考えてしまいます。

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こんな運転を考えていたのですね。
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