小田急の特急車のEXE30000形ですが、EXEαへの改造が進んでいます。そのため、日本車輌への下り甲種輸送と上り甲種輸送では見た目が変わって戻っていきます。
10年前のこの列車はEXEの上り甲種ですが、この当時は相模大野の工場で出来なかった改造工事を日本車輌で実施して戻っていったようです。


撮影は東海道線の愛野-掛川間です。
昭和46年に小田急本社にお願いして9000形について情報を取りに行くというのを敢行しました。
今考えればどこまで図々しい人間だったのかと思いますが、きちんと事前にお願いをして面会予約を取り、了承を得た上でこのモックアップを見せて頂いたのです。もちろん、どこの誰にも見せてはダメという約束の上で写真も撮影させて頂きました。
最初にこれを見たときのショックは忘れられません。こんな電車が小田急に走るんだというのが信じられませんでした。
そして、その後和泉多摩川のTRAINSさんを訪問した際に、許可を得て撮影したのが以下の画像です。かなり当時でも劣化してますが、検討・お披露目用に製作をするのですね。大掛かりになれば特急車のように1/1というのもあるわけなんですが。
今この9000形の模型は何処にあるのでしょう?

この画像は小田急百貨店のイベント時に撮影しました。

TRAINSにて2004年5月21日許可を得て撮影。

こちらも同じく2004年5月21日に許可を得て撮影。
伊豆急のロイヤルエクスプレスが北海道へ旅立ちました。世の中こんな状況ですから楽しんでばかりというわけにはいかないと思いますが、乗車される方々が無事安全に旅行をされることを願っております。
車両の撮影は2017年9月23日になります(Yahooブログ時代にアップしたものです)。



伊豆急の撮影地は徒歩で移動する場合は結構きついですね。かと言って車で移動すると駐車するスペースがあまりありません。よくよくリサーチしてから行かないとダメですね。
昨日の赤い1000形登場前の2008年5月2日の撮影です。
こんな今考えれば短い列車が行き来していました。10両編成の各駅停車が走る時代になりましたから、懐かしい姿になります。
まあ、今でも小田原-箱根湯本間の登山線内では4両で頑張っていますが。。。




小田急顔の電車たち、何だか品があって良いですね。
かつて、赤い小田急1000形が登場した頃に新松田-小田原-箱根湯本間で各停運用に就く姿が見られました。私も一度くらいは撮影しておこうと出向いたのですが、結局これ一回になってしまいました。
赤い1000形は4両ですから、その後のダイヤ改正で小田原から東に昼間は来なくなってしまいました(一部夜間に来るものはありましたね)。
その様な中で、今回8月に6両の1000形と組んで小田急全線を赤い1000形が走行するという発表がありました。
コロナ禍で非常に不安で寂しい状況下で嬉しいニュースです。遠方の小田急ファンにとっては神奈川県まで出掛けることが難しいですが、一回くらいは撮影したいものです。

これは小田原折り返しの運用に入っています。

新松田に向かう列車です。

この列車は箱根湯本まで向かいます。

丁度当日は珍しくもなかったEXEのすれ違いが撮影できましたが、今ではこの塗装同士が顔を並べるチャンスは少なくなったと思います。
撮影は2009年9月20日です。当時のカメラ機材の調子が悪くて画質が悪くてすみません。
多分、1997年頃の撮影と思われる2655Fの8両化された姿を撮影したものがありました。8両の2600形は意識してしっかり撮っていないので数少ない画像からの1枚です。

お顔の前に柵が入りこんでいますが、まあご勘弁ください。
今月末に鉄道ピクトリアルの小田急特集が10年ぶりに創刊されるということで、2010年1月の臨時増刊号を久しぶりに読み返しています。
今更ながら、そうだったのか!という記事が多くて毎度ながらこの手の特集には編集された皆様のご苦労が伺えます。
さて、その記事の中でアイボリーにロイヤルブルーの帯に最初になったのが2655Fとありましたので、撮影したものがないかと探してみましたが、なかなか見当たりません。
やっとの思いで出てきたのが1982年7月2日に最後の丹沢号(後に朝方復活しましたが)を撮ろうと2日に渡り夜遅く新宿まで出かけた際に撮ったものでした。
この編成は、1964年10月27日に竣工しており、その後1993年7月12日に8両固定編成化で一部改番され、2001年1月15日に廃車となっています。
この画像の『55』が付け替えられたように見えるのですけど、この時期ならば未だ6両のはず。。。何かおかしいですね。
もう一枚出てきましたので付け加えます。1982年5月4日の撮影です。小田急特集にしっかりとN6の編成組み換え記事がありました。それによるとこの2855は8両化の際に廃車になっており、この番号はこれが最後だったようです。
そして2655は8両化の際もそのままだったようです。
なので最初の画像の「55」については??です。

1982.-7.-2新宿駅にて撮影。

1982.-5.-4新宿-南新宿で撮影。
今日も先週に引き続いて2059レにEF66-27が充当されました。60分の遅れでしたが、撮影することが出来ました。

2053レはEF210-111でした。この塗装になっていたのですね。

1089レはEF66-124でした。サメも撮影チャンスが減ったように思えます。


何だかボケた画像になってしまいましたが、一応撮影出来たということで。。。
湘南急行は前回でやめようと思ったのですが、画像を探しているうちにN6旧塗装の『湘南急行』を忘れていた事に気付きました。
これでおしまいにします。

東海道線に対しての対抗意識が凄かったですね。2003年6月28日撮影です。

8000形と2600旧塗装復活の湘南急行です。2004年5月21日中央林間にて撮影。

藤沢方(小田原方)にN6が付いてます。

もっと撮りたかったですが、N6旧塗装の湘南急行は3回程度しか出会えませんでした。録音もしたかったです。
静かに消えていった『湘南急行』でしたが、最終日には特にイベントもなく(登場時にはHMも付いたのに)、そして沿線もそんなに沢山の撮影者を見ることもなくでした。
たったの2年半で消えてしまった種別「湘南急行」、何かの形で復活してくれると嬉しいです。
※人物が特定できる画像には処理をかけています。ご了承ください。






藤沢に戻って帰り際にこれを撮影していたら、子供たちから「何を撮っているんですか?」と聞かれたので、「湘南急行が今日で最後だから撮ってるんですよ」と答えたら、子供たちも感慨深そうに見ていました。小学校高学年くらいの男の子達でしたから16年経過すれば20代後半ですね。小田急ファンになってくれた人はいるのか気になります。