暫く表題の車両達の紹介をしていきたいと思います。
とはいうものの、ほとんど画像がありません。特に小田原-足柄、大秦野、伊勢原間で行っていた貨物輸送なんて撮りに行った覚えがないのです。それくらい興味の対象から外れていたのですが、ひっそりとELは引退してしまい、小田原駅での国鉄(JR)との車両の受け渡しなども過去のものになりました。

1971年9月19日小田原駅で撮影の画像ですが、このED1031は新車や譲渡車の受け渡しではなくて定常の貨物列車の牽引機として小田原駅で待機しているところになります。
元祖快速急行やHE車によるサービス特急などが時刻表に掲載されています。ABFの快速急行などもあったはずです。あの独特の図柄の方向幕と普通の○急運板の「快速急行」列車。そして納涼ビール電車なども。
実際にこの列車たちを見ているのですが、流石に子供でしたから写真などには残していません。頭の中にしっかりと焼き付けられた懐かしい時代です。


細かいことは書きませんので資料をじっくりご覧ください。
1999年7月に登場したロマンスカーの愛称名「サポート」ですが、2004年12月10日で終了となりました。
EXEと共に小田急のロマンスカーのあり方について色々と考えさせられる4年半だったのではないでしょうか。
以下の撮影日は2004年12月10日のダイヤ改正前日、「サポート」最終日のものです。

新宿駅ホームの案内表示です。

EXEの「サポート/えのしま」です。

この表示もこの日まででした。

東北沢にて代々木上原方を走行するLSE「サポート」です。

ワイドが6両で各駅停車だった時代ですね。

今は無き世田谷代田の下り地上ホームからEXE「サポート/えのしま」を撮影しました。
5/15(金)に少し貨物撮影しました。

田んぼに水が張ったので鏡を意識して。。。2053レEF210-173です。

最近見かける機会が増えた押し桃。この日は5089レでEF210-312がやってきました。これが来る分、66-100が減っているのでしょう。

そして、かなり暗いのですが1097レで久々のEF66-27に会うことが出来ました。掛川-愛野間通過が18:05くらいでした。
サポートの分割列車もありました。
そして、疑問に思っていたLSE、EXE以外の「サポート」が存在したのか?なのですが、小田急鉄でお世話になっている朝霧高原様からはHiSEのイタリアンな「サポート」画像の使用承諾を頂きました。また、掲載出来ませんが、Odapedia様からはRSEの「サポート」画像も頂戴しました。
ご協力に感謝申し上げます。

2004年8月8日に和泉多摩川にて撮影の「サポ-ト/えのしま」です。

これも和泉多摩川で2004年8月8日撮影の「サポート/えのしま」です。

朝霧高原様からご提供のHiSEのイタリアンな「サポート」です。非常に貴重な画像をありがとうございました。
「サポート」は小田原までの特急の愛称になったわけですが、箱根方面への観光という意味合いからするとお休みの際に「サポート」っていうロマンスカーで・・・というのは盛り上がりに欠けたかもしれません。

2002年3月23の日小田原駅で撮影です。

特急車内でPCを貸出してWIFIインターネットの接続実証実験を走行する車内で乗客に行ってもらい、そのアンケートを取るということをやっていました。今ならスマホやタブレットで何処でも何でもですが、この当時はそれなりに新鮮な実証実験でした。

2004年6月5日の撮影です。開成でN6旧塗装車のサヨナラ展示会が行われた際の復路の撮影でこの地に来ていました。

ミニDVテープデジタルビデオカメラに付属のデジカメで撮影してます。
小田急ロマンスカーの愛称名は様々なものがあって、当初は列車毎に名称が違っていたり、統合されたりを繰り返しています。
その様な中で、少しがっかりした愛称名がありました。「サポート」です。
これは、1999年7月から2004年12月10日まで4年半ほど使われました。それまで使われていた「あしがら」「さがみ」を統一して「サポート」としたのです。残りは、「はこね」「スーパーはこね」「あさぎり」「えのしま」でした。併結の特急もあったので、「サポート/えのしま」とかもありました。
「サポート」の愛称に全く親しみも感じず、意味合いも理解し難かったため撮影枚数が極端に少ないです。そんな中から少しアップしていきたいと思います。

撮影は2001年2月18日です。この日は小田急のトレシミュの発表会があり、その臨時列車に乗車した際の新宿での撮影です。

本厚木のホテルで説明会があって、その終了後に本厚木で撮影したものです。
1999年7月に登場しているのですが、仕事も多忙だったのか「サポート」
2020年4月12日にアップした、外から見た旧モニ1形とデユニ1000形を繋げた資料室の工場内側からの画像が出てきました。
撮影は同じく1970年だと思われます。何となく入り口に「資料室」と書かれているように見えませんか?

外からの1枚しか無いと思っていたので、内部からの画像もあって良かったです。50年、半世紀前の画像になります。
もうこんな状況ですから、今は我慢の時。将来の博物館とか開館時のイベントとかに大いに期待して待ちましょう。
昨日、昨年はとか書いていたらの今日の発表だったので些か驚いてますが、今年は潔く諦めましょう。
2007年のファミ鉄も昨年以上に素晴らしい並びを造ってくれていましたね。
