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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

小田急の運転室(33)・・・8000形 その五

ワンハンドルになっていない8000形の運転室のご紹介です。

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2ハンドルですから8255Fです。2015年6月27日撮影です。

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この時にマスコンの大事な部分が欠けています。2015年6月27日撮影です。

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ブレーキハンドル車は運転室に備え付けになってしまいました。2015年6月27日撮影です。

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以下は2015年8月25日の撮影になります。8255Fです。

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ブレーキハンドル保管箱とモニターです。

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そしてお伝えしたかったのが前回報告と違う種類のマスコンです。キー方式で前後切り替えレバーは着脱式ではありません。新製なのか流用なのかは定かでありません。

小田急の運転室(32)・・・8000形 その四

初めに、途中ながらお断りとお詫びです。Yahooブログ時代からの過去の画像が再掲載されている場合がテーマによって多々あります。その点ご容赦ください。
今回は8000形の原型運転台から少し変わった姿です。

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2007年4月30日に藤沢駅で撮影したものです。未だ幕車で80周年のステッカーが貼ってあります。

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何が変わったかというと、ブレーキ弁の差し込み口の周りのカバーが変わりました。登場当初と比べてみると違いが分かるかと思います。何故この形に変更されてきたのか、他の車両とともに謎です。
前後進の切り替えは差し込み式のレバーを挿入するタイプで変化なしです。あのレバーを腰に差して、他のキーと共にチャラチャラと音を立てて歩いてくる乗務員さんも昔の姿になってしまいました。
中央にロックキーが置いてありますので、鎖錠SWが使われている証明になります。登場時の扉SWが何時交換されたかは不明です。

2020.-3.20(金) 今日の貨物撮影 EF210-312にEF65-2065ムド!!

EF210の300番台が遠州地区を通過するようになった改正から、未だ撮影に至っていないため、今朝は早く起きて沿線に出てみました。
この地区では吹田のA126運用で1072レ、A127運用で5071レ、A128運用で5070レ、A129運用で5085レにEF210の300番台が充当されることがありそうです。

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5085レは、今日はEF210-312にEF65-2065(原色)のムドが付くというものでした。

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まさかこんな組み合わせが此処で撮影出来るとは思いませんでした。

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20200320-08 5091レ 210-4

5091レのEF210-4です。EF210って全部側面に大きく桃太郎と書いてあるかと思いましたが、運転室横に小さいのしか無い二種類があるんですね。

20200320-10 54レ 66-130 

54レのEF66-130です。

20200320-11 1071レ 210-901

1071レのEF210-901です。

20200320-13 5071レ 210-166

5071レのEF10-166です。

小田急の運転室(31)・・・8000形 その三

引き続き登場当初の8000形です。

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車掌室中央にしかなかった放送用のマイクです。

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行き先や種別の設定機ですが、懐かしいのがあります。多摩線関係も多摩センターまでです。

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車内は青系の配色です。先頭車と思われます。

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運転室の背面です。

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こちらは中間車ですね。
以上で登場当初の8000形のご紹介は終了します。

小田急の運転室(30)・・・8000形 その二

今日もマニアックに登場当初の8000形のご紹介になります。
1982年12月27日の撮影です。

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この画像が重要なのですが、登場当初は9000形と同様の下側の赤い棒を回して上げる扉SWでした。その後ロックキーと通常の扉SWに交換されてます。

小田急の運転室(29)・・・8000形

登場から38年経過した8000形がいよいよ終盤になってきた感じがします。これから新5000形の増備によって他の車両とともに消えていく運命にあるかと思います。そんな姿を沢山残して欲しいと思います。

今回から暫く8000形です。

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撮影は1982年12月27日です。無理を言って天気が悪いのに見学させて頂いたようです。大野工場です。

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入線当初なので、まだ通過表示灯も健在です。最初の姿ですね。

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運転台で驚いたのが傾斜が付いたことでした。この運転台は暫く続きますが、少しずつ変化が出てきます。
それはまた明日以降に。。。

小田急の運転室(28)・・・RSE 20000形

今日はRSEです。なかなか乗車するチャンスもないまま小田急から退いてしまいましたが、博物館が出来たらまた会うことが出来ます。今の騒動が早く収まって開館が出来ると良いのですが。
私は基本的にワンハンドルが嫌いですが、京急の800形のように自己アピールが強い運転台は好きです。このRSEもその部類です。
これは勝手な私の好みです。どうも最近の玩具のようなのが好きになれません。皆さんは如何でしょうか。

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ラストランの頃にコンパートメント(階下の4人席)に乗りましたが、なかなか快適でした。楽しい電車でしたから無くなって残念です。

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運転室内は広々としていますね。そしてVSEやGSEの展望でなくても同様の景色が味わえるのが最高でした。

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SSE時代の「あさぎり」には小田急の運転士さんと車掌さんが御殿場線の御殿場まで乗務されていましたが、今は松田駅で乗務員がJR東海の方と交代しています。
これを出したら371系も参考に出さないといけませんね。えっ?MSEじゃないの?と言わないでください(笑)。

小田急の運転室(27)・・・旧4000形 その二

今日は、新性能化されてからの旧4000形です。昨日はお世話になっているOdapediaさんから「今日は運転室~ないんですか?」と指摘されるまで気付きませんでしたww。

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藤沢駅で2004年8月9日の撮影です。

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車内はピンク色から標準色に変わっています。

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方向切替器が設置されるまで、運転士さんはこの画像の制動(昔は電制だったかな?)、制御、通過表示灯などをパチンパチンと押して前後の切替器を変えて扉SWを閉にしてロックキーを抜き取ってという運転準備をしていました。そんな動作を見ているのが大好きでした。

小田急の運転室(26)・・・旧4000形 その一

今日ご紹介の小田急運転室は旧4000形です。もう記憶にない、知らないという方が多い形式かもしれません。
他車との連結を防止する意味で吊り掛け時代の旧4000形は運転室内が1800形と同様にピンク系の配色になっていました。こんな記録も1枚しか撮影していません。
運転室の画像のみ、大野工場の見学の際に自前のブレーキハンドルを差込だけさせて頂いて撮影したもので別の日の撮影です。ハンドルは当時新橋の駅の近くにあった交通書房で購入したものです。

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旧4000形の冷房化改造でHE車のモーターを再利用して登場した際のお披露目撮影会の画像です。1985年9月8日海老名での撮影です。
旧4000形は新性能化の際に4両と6両に組替されました。

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こちらが5両化されていますが、吊り掛けのままの旧4000形です。

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運転室の機器配置は2600形や5000形と大差ないですが、色がこんなでした。

旧4000形の走行音は様々で音マニアの私としては、後になって録っておくべきだったと非常に後悔している次第です。ABFや1800形よりも吊り掛け音は迫力があったように思います。

小田急の運転室(25)・・・9000形 その四

9000形これで終わりです。
団体専用で走行した際のものです。

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このようなHM付きの列車が走行しなくなって寂しい限りです。

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撮影は伊勢原駅2005年5月2日です。

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