今日も撮影に出ましたが、C53編成でした。朝霧高原様のコメントにあるように、車番と編成番号は700系は最初からズレがあるんですね。知りませんでした。
さて、明日(3/1)の上りと3/8のラストで東海道新幹線の走行もラストです。明日の撮影はちょっと冒険(危険なという意味ではないです)してみようかなと思います。

付近で撮影されている方が数名いました。

今日の列車は「団体」幕での走行でした。

両先頭車の屋根だけが非常に綺麗になっていますね。

C53編成です。車番とズレがありますね。
昨年、700系に乗車した際に走行音を録りましたが、電車らしい音がしていて感動しました。
今日は、東京11:47発の「のぞみ337」を掛川-浜松間で撮影しました。この場所には私の他に5名の方が居ました。掛川方にも途中でカメラを構えている方々をちらほらと見かけました。

新幹線の横を通過する塗装変更されたEF210-107の貨物列車。他の方は皆さん全く興味なしのご様子でした。

もう定番の撮影ですけど、こんな場所に行かないとケーブルや電柱が邪魔します。前回の失敗がありました。

シールは1号車の次は5号車の東京方です。

次が9号車の東京方です。

次が15号車の東京方です。

そして先頭車の16号車となります。
今回撮影していて今更ながら気付いたのですが、N700系列の-1000(G)、-2000(X)、-4000(F)、-5000(K)の各編成は、ハイフンの後ろの下2桁の番号が編成番号と一致しますが、700系は下2桁に+1したものが編成番号なのですね。何故なのか理由は分かりませんけど、先日のC編成撮影をして画像を見ておかしいなと思った次第です。
新幹線撮影のついでに東海道線も撮影しました。

3075レと211系です。

3075レ単独で。

313系+211系の2+2の4連です。最近この組み合わせに魅力を感じてます。

こちらは、211系の2+2の4連です。
先日の700系は西の編成でしたが、今回は東海のシール付きC54編成でした。
掛川-浜松間にて撮影しました。同じ場所には3名の方が居ました。

この撮影地はケーブルや電柱が多くて難しい場所ですが、場所を特定するものがあるので今回は此処にしました。

前の側面にもシールがありました。

前面の側面も特別装飾ですね。

あと3回は撮影チャンスがあるのですが、次からノーマルな撮影場所にしたいと思います。
211系が気になってきました。どこにでも走っていた電車なんですけどね。
撮影は掛川-愛野と掛川駅付近です。



この211系と313系の2+2っていうのが私鉄チックです。
近くに有る天浜線の掛川市役所前駅付近が菜の花で綺麗でしたので撮影してきました。
最近まで面白みのない路線と思っていましたが、今はラッピング車が多数ありますから面白くなってきました。
遠くの方も今の騒動が収まったら是非お越し下さい。



本日、5097レでEF66-27(ニーナ)が下るとの情報で、もしや遠州地区でも撮影出来るかと期待していたところ、2079レに流れてくれて撮影が出来ました。しかし、14:00頃から強風と豪雨となってしまい、撮影でびしょ濡れになってしまいました。
何時居なくなるか分からないカマなので、撮れる時に撮らないとという気持ちが強くなり頑張ってみました。

天気が悪いので真っ暗の中を走ってきた感じでした。修正画像です。

やはり何とも言えない味のある機関車です。
今日は、昨年12月1日に東海道新幹線の定期列車から引退した700系の走行日でしたので撮影してきました。
天気が危ぶまれましたが、なんとか雨が降らずに撮影できました。

新大阪8:46発⇒東京1120着の「のぞみ310」です。

本日の700系はJR西日本のB5編成ですので側面にブルーの「JR700」の文字が入っています。

折り返し東京11:53発⇒新大阪14:30着「のぞみ339」です。

西の700系はシートの色がブルーで乗車すると見分けがつきました。一時期、東海から西に移籍した700系がいましたが、これは乗務員室扉近くの表記を見ないと見分けがつきませんでした。
撮影は、掛川駅-浜松駅間です。
今日は、またABFMに戻って新潟に行った2229+2230です。この電車、ワンマン運転の仕様に改造されていますが、かつてHB車が小田急時代にままで最初に使われたように塗装がそのままでした。これは小田急ファンにとっても嬉しいことだったわけですが、その後に踏切事故でお顔が整形されたり、晩年は調子が悪くて使われる頻度も減り、廃線を前に使用止めとなったようです。残念でした。しかし、大井川鐵道のSSEのような惨めさは無かったように思います。

ワンマン仕様なので乗務員室の扉は撤去されていました。

車内は小田急時代のままです。1985年5月3日撮影ですが、この頃の女子高生さんはスカートが長いですね。


バスにあるような、ワンマンの表示灯が見えます。

この県庁前に停る2229+2230が何とも不思議でした。此処から路面電車のように暫く走行するのですが、自動車やバスに囲まれた元小田急車というのも面白かったです。一度しか訪問出来なかったのが残念でした。
ABFMのところをもう少し詳しくやらないといけないのですが、調べるのに時間が掛かるため、一気にHE車2400形に飛びます。
この車両の云々はネットでお手数ですがお調べください。小田急を代表する通勤電車と私は思っております。
先頭と中間で車両の長さが違うとか、扉間隔を一定にしたなどで車両端に狭い座席が発生していました。走行音も今考えると特徴的で遠くからでも聞き分けることができました。辻堂の海浜公園に台車だけ展示されてますが、車体が残っていても良い小田急にとって価値ある車両でした。
撮影の画像は、1989年3月12日のものです。海老名での鉄道友の会のさよならイベントでした。

座って落ち着いて運転を見ることが出来た最後の車両でした。

車内は寒色系の落ち着いたものでした。

車両端の狭い座席です。

相模大野から海老名まで回送でしたが、しっかりとHMを取り付けての走行でした。最後にダブルHMでお別れしました。