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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

小田急の運転室(13) 地味に2200形です。

この電車の運転室で子供の頃から気になっていたのが、方向幕の箱は何処?でした。大きな前面の2枚窓は展望も良くて、おまけに運転室の後ろには座席もありましたから子供向け?でしたね。
それとABFM車のカルダン駆動の音もNHE車が登場するまでは大好きな音でした。
江ノ島線では急行が2両の時代があって、藤沢方から相模大野に入線した電車は、一旦新宿方に出て、バックして小田原からの電車の前に連結していました。そんな車掌さんから運転士さんの見える光景がバスのようにも感じられたものです。
まさか多摩線でその頃の光景が再現されるとは・・・驚きでした。

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小田急の運転室(12) NSEの運転室は?

SSEが続いたので、今日はNSEです。経堂検車区時代に見学をお願いして、途中でNSEの入れ替えが有り、乗せてもらいました。当日は暑かったので、見学担当の方とNSE車内で少し涼みましょうということになったと記憶してます。粋な計らいでしたが、今では無理な対応かと思います。

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「あしがら」は復活して欲しい愛称の一つです。

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本来は、梯子を外して運転室の椅子を倒して座るのですが、構内では梯子に立って運転していました。

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入れ替え中でしたから、ブレーキハンドルが入ったままになっています。

小田急の運転室(11) SSEの運転室は?

前回、SEの顔に戻った運転室の紹介をしましたので、今度は乗車&撮影会があった際の現役のSSEの運転室です。撮影場所は唐木田で撮影日は1992年2月15日です。

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SEの顔に戻った側で撤去されていたのが、この列車無線機です。わざわざ取り付け台を付けて、その上に置かれていたようです。SE復活顔の方は取り付け部分が補修されています。

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中央部分は、こんな感じです。

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右側に車掌用の放送機器がありますが、大井川鐵道に譲渡された3001Fに乗った際に車掌さんが放送キーを入れると運転士さんは補助警笛のSWを切っているのを見ました。何かインターロックが入っていたのでしょうか。大井川では扉が手動でしたから、SLの客車と変わらない手間があったと思います。走行中は扉にロックのピンが挿入される装置がありましたから安全には問題なかったと思います(大井川鐵道で使用していたかは確認していません)。

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SSEには「あさぎり」のHMが似合いますね。

小田急の運転室(10) SEの顔に戻った側の運転室は?

今日は、SEの顔に戻った側の運転室です。SE時代の運転室画像が無いので何とも言えませんが、多分そこまで復元はされていないかと思います。次回にSSEの運転室を掲載しますので比較してみてください。

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画像は修正が入っています。

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藤沢から新宿までSE時代に何度も乗車しましたが、この顔はあまり好きになれず、更にNSEの大きな表示に好感を持っていたので、SSEに改造されてからの顔には以前とは違った好印象を持ちました。まあ、子供の勝手な当時の見方です(笑)。

撮影は2007年10月20日のファミ鉄です。

小田急の運転室(9) 大井川鐵道のABFは変化があったのか?

今日もABFです。大井川鐵道に譲渡されたデハ1906は一見塗装以外に變化が無いようですが、大きな変化点がありました。

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新金谷から東海道線の大井川橋梁に向かって延びていた廃車車両の留置線。夏場は近寄れないくらいに雑草に覆われていました。そこに6000系「あかいし」(元は北陸鉄道の「くたに」)の牽引車として使われた元小田急のデハ1906が放置されてました。
お顔は、尾灯が上から下へ、貫通扉の横の手摺の上部が撤去、遠くからは分かりませんが、前面の左右の窓の周囲が車体とツライチになる整形がされてました。方向幕箱や看板の爪は残っていましたから、小田急時代の雰囲気はありました。前灯のケースの色などは小田急そのものですね。

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車内には勝手に入れませんでしたので、外から撮影してますが、運転室機器もそこそこ改造があったのでしょうか。

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富士急で残っていた鎖錠SWはなく、扉SWも小田急時代とは違うゴツイモノが付いてました。放送のアンプやマイクの箱は小田急時代のままに見えました。

小田急の運転室(8) 富士急のABF

富士急には1911~1914と1961~1964の8両が譲渡されました。モーターは小田急の廃車時点で4000形に載せ替えられたので、富士急では既存車の廃車発生品を取り付けたようです。

撮影年月日が不明ですが、そんな富士急時代のABFです。運転室の画像が富士急時代しかなくてすみません。他の旧型車両も全て譲渡後でご紹介してました(^_^;)

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富士急では種別板の取り付け爪は無かったので、ちょっと引っ掛けさせてもらいました。こんな種別は富士急にはありません。

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運転室内で撮影したものです。当時は広角レンズが無かったのでこんな感じです。

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乗務員室で気になるのが、鎖錠SWです。ロックキーで解除して扉のSWを扱うものです。最近のは二つのボタンを押して解除する形に代わってますね。その後に譲渡のABFMでも使われていましたが、小田急らしい部品です。

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車内は木の床で温かみがあります。

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最後も運転室ですが、これは客室からの撮影です。この車両の乗務員室に入る扉の窓は開かないため、ガラスが反射してます。

小田急の運転室(7)新潟交通に越後交通?!

昭和60年(1985年)5月4日に新潟交通に譲渡された2229+2230に会いに行ってきました。その際に、越後大野駅で元越後交通(EKK)のクハ1455を見ることが出来ました。越後交通で廃車後に新潟交通にクハ1452と1455が部品取り用として持ってこられたようです。このクハ1455は元の小田急車番はクハ1457です。

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越後大野(相模大野じゃない)のABFM車と奥にHB車。実際に小田急線で顔を合わせたことがあったに違いないと思います。

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EKK 1455の文字がしっかり残っていました。

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HB車特有の片隅運転台が小田急時代のように残っていました。方向幕箱撤去後の跡も見えます。1455のプレートもありました。

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運転室側を見たところです。

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運転室側から車内を見たところです。車内はボロボロでしたが、確かにHB車でした。

小田急の運転室(6)

本日は、1300形です。かつては茶色の塗装でHB車の3連に連結されて一般の旅客扱いの車両であったり、新聞電車、荷電、配送電車として使われ、晩年は2100形の台車に履き替えられて活躍しました。東急車輛の見学時に元小田急1300形を見つけて、お願いしてさつえいをさせて頂いたことがありました。このブログのどこかに画像があるかと思います。

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運転室内は、今まで紹介のHB車と変わりないです。

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配送電車として使われましたので座席は撤去されています。

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最後まで方向幕箱が残っていて、かつての古い方向幕が入っていました。それはまた、機会があれば紹介します。

小田急の運転室(5)

本日は、またHB車に戻ります。
現在の岳南電車に譲渡された元小田急のHB車です。近年まで廃車体も残されていましたが、今は綺麗に無くなってしまいました。1973年12月20日の撮影です。

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岳南江尾駅の周辺は何もありませんでした。今は住宅街ですね。

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これぞHB車の車内という感じです。片隅の運転台に仕切りのポール。方向幕箱を埋めた跡が中から見ることが出来ます。

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モハ1107は他のHB車がクハであったのに対して、電動車でした。

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この乗務員室の落とし窓の極端に大きなRを50年前に藤沢駅から乗車した際に見ていて、なんでこんな形なのかと思っていました。まさか此処で確認出来ることになるとは思ってもみませんでした。この運転台の向きは江尾側ですので、路線がグルリと回って吉原に着くと、向きが変わっていなければ小田原方になりますね。藤沢で見た時も中間に入っていました。

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1107の江尾方のシンプルな運転室です。

小田急の運転室(4)

今日もHB車のつもりでしたが、珍しいところでデト1のものをアップします。

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少し斜めになって、どちらも見渡しながら運転出来るという感じです。経堂工場があった頃からこんな運転室内だったのでしょうか。様々な小田急の名車を引っ張って入換えしてきたのだと思います。

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この時は見学の際にわざわざパンタも上げていただけました。
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