本年は、途中でヤフーブログからFC2ブログへの移行があり、若干ザワザワとしてしまいました。当ブログにお越し頂いている皆様、お世話になりました。
引き続き「小田急と江ノ電の記録鉄のブログ」を来年も宜しくお願い致します。
居住地遠州の鉄道も含めて様々なテーマで2020年も当ブログを運営致しますので宜しくお願い申し上げます。
ラストは、本日の「ご近所鉄」です。


皆様、良いお年をお迎えください。
前から気になっていた列車に乗ってみました。新宿からの相鉄線直通海老名行きです。
新宿は13:30頃の発車でしたが、ちょっと遅れてました。そして発車数分前なのにお客さんが各車両数名しか乗っていません。びっくりしました。更に大崎までの間も乗って来る人は数名でガラガラで大崎を後にしました。
そして西大井も乗降がなく、武蔵小杉で少し車内の空席が目立たなくなった程度で羽沢横浜国大前に到着。冬休みの鉄さんは多いのですが、それほどの乗車もなく発車。西谷では横浜からの快速と接続したので、これは乗り換えが多いかなと思ったら数名でした。
少し話には聞いていましたが、この乗客の少なさは驚きでした。
もう少し都会の皆さんにも宣伝が浸透して乗車率が上がると良いなと思った次第です。

新宿の発車数分前です。



折り返しは各停新宿行きでした。隣にも同じ所に行く電車がいますけど、さて通しで乗る人は居るんでしょうか。
JR直通相鉄線、頑張ってください!!
少し間が空いてしまいました。
今年最後の小田急撮影は2019.12.29(日)に午前中は小田急を新百合ケ丘で。それから新宿経由で相鉄直通で海老名に行き、海老名から栢山へ。開成まで歩いて小田原に出てプチ忘年会をしました。
相鉄は別に出しますが、小田急はこちらになります。
小田急は、来年の改正で多分大幅に少なくなるであろう?新百合ケ丘から唐木田間の急行を意識して、新百合ケ丘入線時には急行表示が変わってしまうでしょうから、それを変わらないところで押さえようという目論見でした。まあ、そんなにきにすることじゃありませんけど、一つの目的にしました。
それとこの駅間は撮影ポイントが限られますので、ちょっと練習も兼ねました。

EXEのαではない「えのしま」も撮影したことがあまり無かったので。



そして気になる1081*8です。どうなるんでしょうか。

小田原方も撮りました。経堂駅の上りホームです。

この駅では残りますから気にする必要ないのですが。。。
昔の多摩川橋梁を渡る1800形の8連急行新宿行きです。当時の私の最寄駅は江ノ島線本鵠沼で、この2本の1800形8連急行の内、1本しか撮れなかったのです。和泉多摩川まで行くのに時間が掛かり、1本目に間に合わなかったのですね。
例の脱線事故以降に発生した8連の急行。20m4扉で各車に運転台付きですが、輸送力はあったのかもしれません。

4000形+1800形を始める前に1800形の8連があったのかどうかは定かではありません。
12/19に相鉄撮影に行った画像になります。撮影は鶴ヶ峰-西谷間です。

「特急新宿」の表示は感動ものでした。

E233の「特急海老名」も同様に感動ものでした。

もちろん、この相鉄の特急も◎です。

各停でも来るのですね。

二俣川でE233が見られるとは思いませんでした。

この画像は大和で撮影しましたが、大和の駅名表示を入れて撮りたかったです。
次回はまた、小田急1800形の最終回を掲載したいと思います。
先日撮影した場所から横浜方にしばらく歩いて線路を横切る踏切は名撮影地だったようです。そこの画像を今日とあと少しアップしたいと思います。1時間以上居ましたが、飽きませんでした。

この新7000系車両が最古参になってしまったのでしょうか。なかなか特急種別幕が似合います。

各停新宿なんて電車が相鉄を走っているなんて信じられません。

此処に居た1時間半くらいの間で1回だけ目の前で離合がありました。興奮してブレてます(^_^;)

この車両はたまらない魅力があります。JRに乗り入れて乗客の皆さんが驚くのも分かりますね。
ということで、もう1回だけ続きをやります。
秩父鉄道に行った元小田急1800形の室内はどうだったのか。記録がありました。小田急時代にもあまり撮影することが出来なかった1800形の運転室などご覧下さい。
1979年8月12日の撮影です。撮影には現場の方の了解を得て運転室内などに入らせて頂いています。

小田急時代に中間になっていた方向幕箱が出っ張ったままの方の運転室かと思いますが?
秩父鉄道は確か小田急のこの車が入ったのを契機に小田急と同じ周波数のアナログ列車無線を導入したはずです。運転室内の配色などは小田急時代のままのようです。

分割放送装置や放送機器、扉SW、鎖錠SWなどがそのまま残されていました。富士急に行ったABFM車も鎖錠SWは残されていましたね。

この画像があるということは、貫通扉が改造された運転室でしょうか。列車無線が外されたという感じが見られないのですが、その部分が定かではありません。

ひどい画像ですが、秩父に行ったあとの車内の様子ということで掲載します。
このように小田急時代の雰囲気を強く残した状態で頑張っていました。
かつては準大手なんて言われた相鉄。そうにゃんでも有名ですが、昔はあまりイメージが良くありませんでした。そんな相鉄が、いよいよ乗り入れ第1弾のJRとの相互乗り入れを開始しました。
次は東急と乗り入れですが、その前に本当の第1弾は小田急への海老名から本厚木までの乗り入れでした。もう、そんなことはないと思いますが、そのなったらなったで東急が小田原線に乗り入れたり面白くなるのになあとも考えます。今だって小田急に入って来るJR車と相鉄に来るJR車が海老名で並ぶシーンが撮れるみたいですから、もうなんだかわからない世界に突入出来ますね。
まあ、JRと東急の乗り入れが始まったら今以上に何かあったらダイヤ乱れが多くなるのかもしれませんが、トラブル前提でやろうとはしていませんから、そこは事前のシミュレーションで上手くやっていくことでしょう。
無責任な発言は、趣味の世界の戯言としてどうかお許し下さい。
12/15(日)に相鉄の鶴ヶ峰駅で下車して、前に撮った箇所でJR車を撮ろうと思い現地に出向いたのですが、ススキの穂が沢山あってちょっと邪魔でした。その時の画像を今日はアップします。JR車の乗り入れは実際にこの目で見て本当に驚きでした。

最初に見たJR車。行き先とか写っていませんが、シャッター速度を下げずにまずは撮影と思ってこうなってしまってます。

ネイビーブルーの相鉄車両も徐々に見慣れてきました。

撮影は鶴ヶ峰駅の横浜方の道路からです。通行車両が比較的多いので注意が必要です。様々な障害物を避けて撮るには望遠レンズが必須です。
1807⇒807、1857⇒857になった車両が広瀬川原区に佇んでいました。試運転の表示があるので整備して間もない頃だったのかもしれません。

ピカピカです。

最後に改造されて顔つきが変わってしまったのですが、黒基調方向幕から白地に変わって、これはこれでなかなか行けてるんじゃないかと思いました。

中間はこんな感じでした。扉ガラスには懐かしい小田急時代からの楕円のシールが残っています。

こちらのお顔が元祖顔なのです。
1979年8月12日に秩父鉄道に元小田急の秩父鉄道800形を見に行きました。大好きな西武の電車に揺られて西武秩父から広瀬川原に向かったようです。

この並びは当時の西武らしさがあって気に入っています。

そして、初対面の秩父鉄道800形です。なかなかこの塗装が似合っていて安心しました。暫く秩父の800形を続けて小田急1800形シリーズを終了したいと思います。もう少しお付き合いください。
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