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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

ようこそお越しくださいました。記事内の文章や画像の転載、転用は固くお断りいたします。

2回目があった小田急2600形のフラワートレイン

1982年の第一次フラワートレインに続いて、翌年の1983年も3月から7月にかけて2669*6を使用して下記のような塗装に「葉祥明」氏の描いたシールを貼った第2次フラワートレインが登場しました。
塗装色が非常に淡く、シールも絵柄がはっきりと見えづらいものだったので、電車の画像を撮影する立場からすると難しい電車でした。しかし、前年に登場した奇抜なものからずれば幾分当時の電車らしいものになっていたかなと思っています。
NHE車による特別塗装は、この2回で終了してしまいましたが、後に1編成に旧塗装化が行われましたので百貨店塗装と併せると4回の特別塗装があったと言えるかと思います。
撮影は、1983年の6月か7月に大野工場にお邪魔させて頂いた際に撮影したものです。

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イベントに使われる特別塗装は後から考えると本当に短い期間しか走行しないので、明日が最後の「江ノ島線90周年記念」ラッピング車は、是非とも撮影に出向いて頂きたいt思います。

小田急1800形 全編成ガイド(3)

今回は、1805+1855+1806+1856になります。

これも就役後に1805のみ厚木線貸与となって2年ほどで復帰していたようです。1805と1855は、1950年の改番対象ではありませんが、1806が元の1809で1856が元の1859とのことです。

19780614-1805 1502レ(ソ)


1502レ(ソ)運用の1805です。

19780614-1856 1502レ(ソ)

同じく1502レ(ソ)運用の1856です。

小田急1800形 全編成ガイド(2)

今回は1803+1354+1804+1854です。
この車両は、就役後に厚木線(相鉄線ですね)に貸与されて2年ほどで復帰したと情報にありました。

19780614-1803 38レ(ス)

38レ(ス)運用の新宿方1803です。

19780614-1854 38レ(ス)

同じく38レ(ス)運用の藤沢方の1854です。

小田急1800形 全編成ガイド(1)

表題の実行は実は出来ないのです。情けないことに1811+1861だけがありませんでした。暫く、中休みも入れながらおつきあいください。
最初は1801+1851+1802+1852です。全て1978年6月14日に善行-六会(現六会日大前)にて撮影しました。

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1801は何と言っても今も現存しているというところが凄いところです。地道な保存活動で目的が達成される事を祈っています。

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こちらは1852になります。この撮影場所のすぐ後ろに乗馬クラブがあって、電車からお馬さん姿が見えたものでしたが、今は隠れてしまいました。

江ノ電800形導入の頃・・・また48年前(笑)

江ノ電も扱うブログなので久しぶりに江ノ電の車両をアップしていきましょう。小田急1800形の話は今日はお休みします。

今回は江ノ電800形導入の頃です。1971年10月に竜口寺前で線路に降ろされた801+802は極楽寺車庫に運ばれました。画像はその数日後の姿かと思います。
上田丸子電鉄のモハ2342が801に、モハ2341が802となりました。
私は江ノ電でアルバイトをさせて頂いたことがあり、竣工した800が運用に入ると必ず大幅な遅れとなってしまい、現場で嫌われていたのを思い出します。扉が前後に離れ過ぎていて、乗降に手間取って遅れが増幅したのだと思います。

1975年10月に小田急ABF1700形の廃車体から譲渡された扉によって3扉化されると、その収容人員の多さから活用されるようになり、1986年4月28日の除籍まで元気に働きました。中間扉が重かったのか、閉まるまでの時間が前後の扉と違ってちょっと面白い感じもしました。乗務員室内が狭くてその後も現業では不人気だったかもしれませんが、私はこの角ばった車体やオデコのライトなどなかなか凛々しい車両だなと気に入っていました。乗車する機会があまりなかったのが悔やまれます。
日々の車両運用面では、600形2編成と800形のそれぞれの間に300形500形が4連になって入る形が江ノ電の旧型車の黄金期だったようです。600形も江ノ電の顔になった良い車両だったと思います。

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新宿にも顔を出していました・・・1800形4連

1800形を新宿駅で撮影した記録が残念ながらありません。ABFMの時には気にして撮影したのですが、この頃は他に気を使っていたのかもしれません。

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東北沢駅を出発する1800形4連です。残念ながら車番が読み取れません。1975年2月11日撮影です。何だか夕暮れのようで何処かの帰りに寄り道したのかもしれません。

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現存する1801(某所で保存状態)が代々木上原を出発して新宿に向かうところです。撮影日が1978年4月4日と記録されているのですが、3月31日に千代田線が代々木上原まで開通しているので、ホームのロープがあるのはちょっとおかしいです。3月31日以前か開通のイベントの当日かもしれません。

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東北沢を出発して代々木上原に向かう1800形4連新宿行きです。一応大型車4つ扉ですけど、中間に運転台もあるし片開きですから新宿口の輸送力としては不足していたかもしれません。1978年4月4日撮影です。この車番は読めますので1809+1859+1810+1860のようですね。

晩年の急行運用があった1800形

ABF車にも晩年の急行運用が相模大野から片瀬江ノ島までありましたが、1800形にも町田から片瀬江ノ島までの急行運用がありました。この時期には1800形は単独での運用になっており、江ノ島線での活躍が目立ちました。
全て撮影は1979年3月7日です。

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藤沢で出発を待つ急行片瀬江ノ島行きです。


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この当時は種別幕は手動でしたから、折り返し各駅停車町田行きなのですが、表示は急行が残ったままです。


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中間の運転台の貫通扉は改造されず、方向幕箱が出っ張った状態で残されていました。1811+1861のみが予備車的な存在であったため、両側が改造されていました。

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片瀬江ノ島から新宿まで各駅停車で4連が走っていた時代でした。

今回もひどい画像のオンパレードで失礼しました。



小田急で3年半しか続かなかった併結編成とは?・・・1800形関連の話題

1800形と4000形を連結した5両編成は、記録によると1969年11月から準急と急行の8両編成を始めることにより発生しましたが、1973年4月19日と5月2日に連続して急行列車で低速乗り上がり脱線を起こし、連結は中止となりました。
この事故により、一時は4000形3両のクハを外して既存の3両と組んだ暫定5両編成が発生しました。1800形は形式内連結となったため、1800形のみの8両編成も見ることが出来るようになりました。

今改めて考えると本当に短い期間しかこの1800形+4000形の組成は見られなかったのだなあと思う次第です。

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広々とした開業間もない海老名検車区の新宿方の構内です。1800+4000が居ます。1973年1月15日撮影です。

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小田原方の海老名検車区構内です。1800+4000が居ます。1973年1月15日撮影です。


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1973年2月4日厚木駅にて撮影の5連です。

小田急線も我が家だった??・・・JR東海371系

今日は1800形を一休みして、丁度5年前のJR東海371系のラストランを貼ります。

371系といえば「あさぎり号」として、新宿と沼津の間を往復し、朝晩はホームライナーとして浜松まで顔を出した小田急線とは非常に縁の深い電車です。今は姿を変えてかつての盟友小田急RSE車と共に富士急で活躍しています。

特に夕方の下り小田急新宿発沼津行きは沼津でホームライナーに姿を変えて浜松まで来ていました。最初の頃は三島まで戻ってから浜松に来るスジでした。
小田急ファンの私としては小田急の空気を遠州まで運んできてくれる頼もしい存在として、時には酔っ払ってホームライナーでお世話になりながら今日の小田急はどうだったのかなと語りかけていました。
昼間の運用がなかったので、静岡-浜松間での明るいシーン撮影は『あさぎり号』を引退してからでした。

そんな371系が「あさぎり号」の運用から外れて2014年の11/22,23,24と11/29,30に『御殿場線80周年371』としてラストランを行いました。本当の最終日は富山に遠征してしてしまったので11/22~24に撮影を行った際の画像をご覧下さい。

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しっかりとした表示が入った『御殿場線80周年371』です。


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前後で色合いが少し違っていたようです。


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撮影は掛川-菊川間で、最後だけ掛川-愛野間です。


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これが本当に営業日の列車としては最後の撮影画像になりました。
小田急線での活躍などはまた別の機会に特集したいと思います。



東洋のマイアミ?江ノ島線の夏 1971年8月

1970年前後の江ノ島海岸というのは夏になると物凄い人たちが海水浴に押し寄せました。毎週末になると小田急も江ノ電も電車は激混みで、海岸線の道路は大渋滞になってました。
そして、8月末になると「夏休み最後の日曜日、湘南海岸は最後の夏を楽しもうと・・・」というニュースが必ず流れて、また夏休みが終わるなぁなんて何度も思ったものでした。

そんな小田急江ノ島線には夏になると快速急行(元祖です)なる列車が片瀬江ノ島、新宿の特製方向幕を出してやってきました。私がもの心ついてから見た元祖快速急行は○急板に特別な方向幕でHE+ABFM6連、1800+4000の5連、NHE6連など、普段は江ノ島線に見られない車両が大挙して来たのです。
その快速急行を撮影出来るチャンスがやっと来たと思ったら、快速急行は普通の臨時急行になってしまいました。なので2003年のNHEの旧塗装の元祖快速急行の演出は涙モノでした。
今回のご紹介は、快速急行ではなくてNHE共々やってきていた1800+4000の5両編成の臨時急行です。

午前は下りが客扱いで上りは回送。午後は逆のパターンでした。当時の夏季輸送特別ダイヤを見ると本数が多くて驚きます。昭和45年の朝一の下り快速急行だけがABF運用になってました。見たかったし、撮りたかったです。

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1971年の夏の撮影です。鵠沼海岸-片瀬江ノ島間です。1854のようです。


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ネガがボロボロなのでひどい画像はご容赦ください。下りが回送なのは午後の画像ということになります。こちらは番号読み取れずですみません。


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種別幕はちょっと色を変えてみました。本当はNHEには種別幕が当初からありましたので○急板は使っていなかったハズです。
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