1800形シリーズを続けます。
経堂検車区と言っても「なにそれ?」状態の方々も多いことでしょう。昔昔は此処に工場があって、SE車もHE車も搬入されたところなのです。
そんな場所に昭和46年頃、大野工場で楽しかったことから経堂検車区も行こうということになり訪問を果たしました。
今のどの位置がどうなったのか皆目わからなくなってしまいましたが、48年前にはこんな風景もあり、1800形も居たわけです。

HE車の種別幕は、かつての旧塗装に合わせた黄色の無表示幕ですね。車番も読めないようなハーフサイズの白黒写真で申し訳ありません。

方向幕箱の出っ張りや貫通扉窓が大きくなっていないなど、この当時の原型に近い状態です。

さて、此処は今のどの辺りになるんでしょうか?経堂は今昔をやるのに目安が無くて難しい場所になってしまいました。高架区間全体に言えることかもしれませんけど。

1406はこの時に初めて保管されていることが分かったのですが、なんで茶色じゃなくてこんな塗装になってるんだ?!というのが素直な気持ちでした。こんな塗装で本線走行したことなんて無かったのにと残念でした。かなり後になって海老名に運ばれて、結局解体されてしまったのは1300形と共にこのことも非常に小田急ファンとしては残念でした。
もう49年前です。そろそろ半世紀前とも言えます。小田急大野工場に初めて見学に行った時の画像です。いつもグルリと回って正門に入りますが、最初もこのコースでした。
この昭和45年は新塗装への変更過渡期だったのですが、子供には新しい塗装が眩しすぎてそちらにばかり目が向いていたようです。無くなるものを残そうなんて当時は考えもしませんでした。
そして、子供が写真を撮るなんてことは修学旅行とか大きなイベント以外には考えられなかったので、撮る枚数も限られるし、味をしめて次もまたどこかで・・・なんて許されませんでした(笑)。
今はデジカメ、スマホで時間の許す限り沢山の画像を残せるので、本当に若い鉄な方々には良い環境だなと思います。

新塗装になって一旦塗装工場から出てきたばかりでしょうか。1857の撮影が最初の小田急鉄としての撮影になりました。

左に2100形、中央は2600形、右に1800形と奥には茶色の1300形が居るようです。
今日は初回なので、この辺で。。。徐々に私の記録した1800形をご紹介していきます。
生方良雄様が発行されたレイルウェイリブレット「小田急1800形」のサブタイトルを真似させて頂きました。
小田急を長年利用している私は、江ノ島線の本鵠沼駅近くに住んでいたことがあり、その頃に初めて1800形の2連が各駅停車に使われているのに乗車したことがありました。当時はABF車も元気な時代でHB車も残っていた頃で、運転室の後ろに椅子がない車両に出くわすことは非常に稀なことでした。そして食パンを切ったような前面の顔。片開きながら長い車体に4つの扉と幼いながらこれはなかなかの車両だぞと思っていました。
その後、江ノ島線では夏季の輸送で4000形3両と組んだ5両で姿を見せていて4000形と組む電車のイメージが定着していました。しかし、2度の脱線事故でそのコンビが解消されて、単独で4両を組んで時には優等列車として8両で走行する姿が見られたりもしました。
晩年は江ノ島線の朝方の列車がほとんど1800形になっている場面にも出くわしましたが。1979年3月26日の4両廃車から2年半ほどで小田急線から姿を消しました。
そして秩父鉄道へ譲渡されてから2度の秩父鉄道塗装を経て1990年3月まで活躍して全廃されました。
廃車になった車両は様々な場所で一時期は保存されていたようですが、ほとんどが姿を消してしまい、まともな形で現存するのは元の小田急1801のみです。
この車両は保存会の手によって復元修理が行われていますが、非公開です。

1978年6月の撮影の1801です。善行-六会(現六会日大前)間での撮影です。この電車が保存されています。
こんな元々が小田急の車両ではない1800形を少し時間をかけて紹介していこうと思います。
今日はロケハンを兼ねて貨物撮影を東海道線の掛川から金谷の間でしてきました。快晴でしたので気分のよい撮影になりました。

1060レ EF210-7です。

5052レ EF210-155です。

2078レ EF210-127です。

3075レ EF64-1009です。

3075レの後ろ姿です。

2059レのEF66-128です。

2時間弱の遅れの3071レ EF65-2097です。原色は良いですね。
列車番号が一部曖昧なところがありまして、違っていたらすみませんです。
1982年3月から6月にかけて、向ヶ丘遊園のフラワーショーに合わせて運行された特別塗装車がありました。第1次は2666Fでした。事前に特別塗装がされる情報を得て、見ることしか出来なかったあの小田急百貨店開店記念特別塗装を期待していたのですが、なんとこの色で最初はガッカリでした。
今考えると、ラッピング技術が未だ開発途上だったのか、しっかりとペンキ塗装での出場でした。37年も前の話ですから無理もないかもしれません。
一般塗装をベースにしたこの色使いは色々とご意見の分かれるところかと思います。模型化された皆さんはとてもご苦労されたのではないでしょうか。

少し前の南新宿なので引いた画像にしました。

先頭はこんな感じで、帯が少し下に下がっています。

側面を見ると、うわーっという感じがします(笑)。
1970年から数年後の画像かと思います。振り子試験車の1658と同じネガにあったようなので。
移動変電車両ですが、なんだか塗装がSEやNSEを彷彿させるものですね。何か意図があったのか?ユーモアだったのか?
確か、相武台前駅の留置線にもしばらく置いてあったように思います。

もっと沢山撮っておけば良かったです。
モハ1として茶色い塗装になって昔の姿が復活した車両が先日真夜中にギシギシと音を立てながらゆっくり喜多見から海老名に輸送されたのは記憶に新しいところです。
そのモハ1が遠い熊本で活躍して小田急に帰ってきた際のお披露目式の画像がこれです。37年前です。
この数日前に、私は夏休みを利用して熊本電鉄を撮影しに行ったのですが、まさか数日の差で甲種輸送されてしまっているとは知りませんでした。この当時は今のパソコン(パソコンは持ってましたけど使い道が全く違っていました)もネットも無く、紙の媒体からしか情報の入手が出来なかったので仕方なかったかもしれません。
本当は大昔の見たこともない復元状態よりも熊本で活躍していた姿をもう少し見たかった感じがしました。

後ろに写っている電車たちも今は居ません。


会社関係者の皆さんが写っていましたので修正が入っています。
1984年4月17日から1987年8月まで走ったイベントカーの8052*4のお披露目の際の画像です。海老名です。
5月9日から1987年4月まで8257*6も同じ塗装でイベントカーとして活躍しました。その後は通常塗装に戻っています。
現在、江ノ島線90周年記念のシールを貼った8255*6が12月1日までの予定で久々にイベントカーとして走行していますので残り少しの期間で皆さん記録に残して頂ければと思います。

通過表示灯が点灯している懐かしい姿です。


最後にはこんな大サービスもありました。8000形以外は全て廃車になってしまっています。
昨日天浜線の車両をアップしたので、懐かしの2006年(13年前)の車両をご覧下さい。
天竜浜名湖鉄道にはTH2100形、TH9200形、TH3000形が現在在籍しており、TH3000は3501のみで3502は廃車解体(2010年9月)されています。
2006年1月8日訪問の際に懐かしいTHの3桁車両が二股に置いてありました。TH106とTH211です。これは後にミャンマーに譲渡されたもののようで、実際は2005年11月に廃車されていたようです。
レールバスという雰囲気を確実に醸し出している車両や3000形の旧塗装が車庫に並んでいました。




11月9日遠州鉄道の西鹿島にてトレインフェスタが開催され、大勢の観客で賑わいました。大手私鉄のイベントに比べれば規模は小さいですが、何ともいえない温かみがあり、社員の皆さん総出の手つくり感のあるとても良いイベントでした。
現在、塗装を変更したりラッピングがされた車両が多数走行しているので、沿線で撮影するのも楽しいかもしれません。

大河ドラマにもなって地元では非常に盛り上がった「井伊直虎」ラッピング車両です。車掌、運転士体験の車両になっていました。



今回の目玉の遠鉄のELです。

前のページ 次のページ