今日は表題のイベントでした。収穫は無かったですが、お祭りってことで。。。
DYの反対側は車内見学の当選者のみ撮影出来たようでした。こちらは大阪方です。
700系、N700系Z編成が分かる写真が撮りたかったのですが、叶いませんでした。
この通信衛星車両という車、新幹線塗装でなかなか良いです。
構内には3線軌道区間があります。入生田ではありません。
口を開けたX編成の東京方先頭車。
ということで、JR東海博物館開館前に比べると面白みが激減してしまった発見デーでしたが、今の新幹線の様子を記録するということでは意味があったと思っています。
工場構内で様々な体験の出来るコーナーがあって、ボルトの緩みを打音検査するのを体験してみましたが、JR東海の職員さんが一生懸命暑い中説明してくれていて、お子さんたちも楽しそうでした。空飛ぶ新幹線よりもこちらの方がためになって楽しぞ!(明日行かれる方へのお薦めです)。
今日は新幹線なるほど発見デーで浜松工場にE電さんと出向いてきました。帰路の昼食時に8862レでチキ+タキが上るとの情報で、急いでクネクネポイントに向かいました。本日の最大の収穫で大満足でした。
この画像は浜松工場に行く前の3071レのEF65-2138です。浜松駅の東京側での撮影です。
8862レはEF65-2083牽引で、前に空チキ、その後に迂回と思われるタキが付いてました。
撮影は何時ものクネクネポイントの掛川-菊川間です。
相模大野工場見学時に撮影しました。今はどうなっていることやら。。。
熊本電鉄から戻ってきた姿の方が親近感がありました。
若い皆さんが、N6の保存車が旧塗装なのを、チョットなぁ?と思うのと一緒かもしれません。
来年の春に電化完成を予定している武豊線に此処まで来て寄らないというのはダメだろうということで寄ってみました。車輛は高山本線などの旧型車を置き換えるのに使われていくのでしょうか。キハの活躍も後僅かです。
キハ25です。電車ではありません。気動車です。
運転時刻表を撮影させて頂きましたが、末尾Dを期待したのにCかぁ!
対向列車と交換です。
ワンマンなので運転士さんはかなり忙しいです。座り続けることが出来ません。扉SWもロックキーがあって停止位置確認して鍵を入れて扉開なので、停まってから扉開まで時間が掛かります。発車も同様ですね。
終点武豊駅はホーム一面の寂しい駅でした。既に全線架線が張られてました。
キハ25の運転室ですが、ギアチェンジも無いので電車と同じ運転に見えました。
車内も313系と大差なしです。
大府駅で並んだ左313系と右キハ25です。オデコのライトくらいの違いでしょうか。
ということで武豊線に乗ってきましたが、此処を走る貨物が撮りたい!と思いました。いずれELになってしまうけど、今はDLのハズ。但し1本しかないみたいですね。
さて、どうしたものか。。。
7/12は、清洲駅から名古屋に向かい、食事の後で熱田駅に行ってEF66-24の下りを迎え撃つことにしました。早朝一番電車での出発だったので、この時点で結構疲れが出てきてました。
この駅は非常に立派な造りなのですが、普通の時は閑散としているようです。
駅の雰囲気は昔の東海道線の駅といった感じです。
お目当てがやってきました。
空コキでしたので、後ろ撃ちしたら乗務員さんが乗ってました。失礼致しました。
ちょっと、何でもないものになってしまいましたが、駅撮りでこんな感じの所ということで。。。
清洲駅で撮ったその他画像です。色々な列車が来て楽しかったです。
案外撮影数が少ないEF200です。
このタキなんですが、本来中央線を行くところを先日の台風アクシデントで不通区間があるため、東海道を上ったとか?
EF210がほとんど来ないので懐かしくなってしまいました。
EF66-100下り。この駅はホームからですが、上下共に撮影が可能です。
そして、楽しみにしていたホキ列車。きちんと積載ありです。
下りのホキ返却列車。
またEF200来てくれました。
帰り際にEF66-100の重連が来ました。重連初撮影です。ムドではありませんね。
やはり、この手が二つ付くと格好が良いです。
というわけで、清州を後にします。
もう少し続きをやります。
7/12(土)は久々に名古屋方面に撮影に出掛けることにしました。まずは、通過するばかりでジックリと見たことが無かった愛知機関区(稲沢駅前)からです。
DD51は500番台1両、800番台18両が配置されているらしいです。貨物塗装より旧色の方がいい感じです。
EF64は0番台6両、1000番台44両で全て此処に集められているのですね。撮れるうちに撮っておかないといけない感じがしました。
『ひだ』のキハ85系が下ります。この区間は相当なスピードです。
『しらさぎ』も『ひだ』同様に以前仕事で富山に行っていた際にお世話になりました。
311系はこの区間で頻繁に使われていました。
さて、お待ちかねのEF64の列車が来ました。此処から清洲駅での撮影です。
DE10が待機しているのは分かったのですが、まさかこんな列車が来るとは驚きでした。
キヤをDE10が引くって、自分で走って行けばいいような気をもしますが。。。
もう暫く名古屋報告が続きます。
EF66-36で5092レが上りました。掛川近辺は小雨でした。
愛野-掛川間にて撮影 7/12 09:45
台風が近づいてますが、今週後半は荒れた天気になりそうですね。皆さん、気を付けましょう。
なんだか、クレーターが何時もより多いように見えますねぇ。
登戸駅の昔のホームをご記憶の方々は、そこそこの古き小田急ファンンと推察致します。その駅の上りホーム小田原方に『ABF8』の黄色いペンキ表記がホームに記されていました。
これは、小田急のかつての名車輛たちの内でABF系と呼ばれていた車型(もちろん吊り掛け駆動車)が8両で使われていたことを証明する車掌さん用の停止位置目標です。
私の場合、HB車や1600形には乗ったことがあるものの、実際に撮影をしたのは1658(振り子試験車両)からでした。そのため、ABF系列の末期は見て、撮影も多少したものの8両編成で急行、通勤急行、通勤準急に使われている姿を見たり記憶したりすることはありませんでした。一時期、相模大野から海老名までABF系列4連を2本つないだ8連の回送が設定され、歓喜したものの数か月で姿を消しました。
そんなABF系列の列車たちが大活躍した証が、この頃登戸駅にあったのです。これは友人から教えてもらい、大喜びでその証を撮りに行った時のものです。5200形は1978年から数年間で20編成製造されてますからこの下の画像は新系列として目立っていた頃のものです。
私にとって、目の前から姿を消して他社に譲渡されて活躍したり、大野で解体されていった最初の小田急の電車で思い入れがあります。そんなABFの画像については、もう少ししてからこのブログにはアップしていきたいと考えています。