こちらに来て頂いている金太郎様の楽しいアイデアに乗っかりました。すみません。
伊豆急100系を伊豆高原で撮影したものです。2001年3月26日撮影です。
このパノラミックウィンドウのデザインも良いですね。
こちらはノーマルな100系ですが、どこか地方私鉄で走っていても良かったのにと思います。1両でも復活して動いているのは素晴らしいことです。
昨日は藤沢で撮れなかったので今晩22:20撮影のお月さんです。
月を撮るのが面白いのですが、毎回同じ感じの画像しか撮れないので勉強しなくてはと思いつつ・・・結局何もやらない(爆)。
昨日から所要で藤沢に出向き、今日は座間の友人宅に行ってました。本日、藤沢を出たら丹沢山系が素晴らしく綺麗に見えていましたので、こりゃあどこかで撮らなきゃと、海老名の有名なケーキ屋さんに寄った後で伊勢原方向に車を進めました。
愛甲石田の高架を降りたあたりの海側から撮りました。同じ構図のものばかりですが、色々とあったので。。。
それと一人であったのと、車を停めた場所も悪かったのですが、高圧送電線が画面を横切っています。次回はこの先に出て邪魔者をよけて撮りたいと思っています。
まずは、MSE6両の『あさぎり』
8000+1000の10両も最近はなかなか撮影出来なくなってましたので私には新鮮!
この色の10両は今一つ見栄えが悪いですね。
珍しく8000形6両の運用を撮影出来ました。
これはMSEの10両ですね。
EXEの10両です。
もう、くどいのは分かってますが、ペンキの10両。これって今までだったら5200+8000?とか離れていたら分からなかったのに、今では8000形しかないので誰でも当たります。
というわけで、新年初のまともな撮り鉄は此処でスタートとなりました。もう少しロケハンしなくちゃダメですね。しかし、もう少し小田原方に行っていたら富士山が綺麗だったはずです。うーん残念でした。
いよいよ、西の京阪の名車元3000系が引退しようとしています。そんな中で地元の大井川鉄道や富山地方鉄道と京阪さんがコラボした企画も進行中です。
その京阪から大井川鉄道の新金谷に到着した頃の写真がありました。本家の初導入は1971.-7.-1だそうです。既に中年オジサン電車です。
大井川鉄道の元祖3000形は元小田急のSSEでしたから2代目3000系ってことですね。
到着したばかりで車体も綺麗ですが台車が仮台車で凄いの履いてます。
3507の側面には搬入時点でテレビカーの文字が残っていました。
スカートは外されてますが、かなり京阪の面影を残して使われていると言って良いかと思います。この台車も違和感ありありですね。結局、当時の営団の住金FS-502Aになって活躍しているようです。
本家3000系には2月の頭に会ってこようと企んでます。
今日のヤフーのニュースに東海道新幹線三河安城駅の最後のパタパタ表示機が1/23で交換とありました。先日、名古屋の先まで行く出張で三河安城駅のパタパタに気付いて、更に向こうにLEDの表示機があったので終わりかなと撮ったのです。この路線で最後のパタパタだったとは知りませんでした。
これがお別れの写真になってしまいました。
ちょっと残念なのは、ここでは『こだま』しか停車しないのでいつも同じ表示しか出ていないことです。いくら興味があってもこの箱を家に持ち帰っても入れるところが無いですね(笑)。
遠鉄から30系が消えようとしてますが、その昔に1両、両運転台のモハ21というのが走っていて、仕事で外に出ると時々出会っては『撮りたい!!』と思っていました。それが実現したのですが、秋から冬だったのでしょうか。写真が暗~いです。腕も悪いのですが。。。
当時、遠鉄は現在の線路形態ではなくて新浜松駅を出ると静岡方向に東海道線に並行して遠州馬込駅に至り、そこでスイッチバックして西鹿島方向に向かっていました。この遠州馬込駅は1985.12.-1に廃駅となっています。
モハ21は昭和31年の製造だそうです。
こちらが遠州馬込駅から新浜松駅方向を見た写真です。新浜松も現在の場所ではなくて地上の駅でした。
遠州馬込駅に向かう3連の列車。車体の幅も狭そうでバス窓がいい感じです。
遠州馬込駅では上下列車が交換してました。前後の線路は単線でしたね。
交換後に右に大きくカーブして市内を通り抜けて西鹿島に向かっていきます。
今もこの電車が残っていたら結構人気だったことでしょう。
山手線でうぐいす色のラッピング電車が走り始めて話題になっていますが、JR-Wでは103系の古いのがつい最近まで現役でした(まだ過去形になっていないのもありますけど)。特に奈良線の103系は前面に白い帯があるものの昔の山手線を思い出す雰囲気(塗装)とあの音で頑張って走っています。
宇治駅にて(2008年)
宇治の京都よりにて(2008年)
西九条駅にて(2008年)車両全体がかなり整形されてますね。
和歌山駅にて(2008年)
福山駅にて(2008年)
橋本だったかな?忘れました(すみません・2008年)千代田線を走行していた電車ですね。
ということで、結構低い運転台の車両が補修を受けて大事に使われていたんですね。
2011.-8.12に山陽本線の幡生駅の脇のJR車両所で見た光景(走行中の車内から)。
幡生のJR車両所は103系の解体場所になっていました。
JR-Wの103系も危なくなっているようです。なかなか撮影には行けないけれど、京阪の元3000系くらいは何とか頑張りたいなと思っています。
岐阜方面に出張がありまして名鉄を使いました。往路は名古屋まで新幹線。そこからJR新快速でしたが、帰路は名鉄の特急で岐阜から豊橋まで通しで乗りたくなってPSの展望席最前列に座りました。
いつのまにか新岐阜じゃなくて名鉄岐阜になってました。名古屋も新名古屋じゃなくて名鉄名古屋。。アンテナ低いなぁ。。。名鉄ファンの皆様すみません。
『桜トレイン』なるラッピング列車が停まってました。次発だったので乗れませんでしたけど。
車内はこんな感じで桜色でした。寒い日が続きますから暖かい感じがしました。
帰路にはこんな列車に乗車。最後部に拳銃携帯の警官が乗車してました。通学時間帯の警戒だったようですが、変なオヤジじゃありませんから睨まないように(笑)。
快速特急です。停車駅が多かった!ミューチケット350円で指定になります。
この左前最前列に座りましたが、名鉄名古屋まで展望席は私一人でした。
豊橋に到着するとこんなものがありました。
飯田線にはこんな形式の電車が入ってます。かつての下駄電王国の面影は既にありません。
ということで、此処から新幹線で掛川に戻りました。
週末は古いネガをスキャンしていました。たまたま整理が悪くて引っ越しで紛失したと思っていたネガが見つかったのです。良かった良かった。。。
さて、その中で静岡に会社が全面移転して異動してきて最初の静岡鉄がコレだったかと思います。移転後の8年くらいは土曜日はほとんど出勤で忙しかったので日曜は寝てるだけの日々でした。少しずつ鉄を再開したのは2000年になってからだったでしょうかね。人生どうしてもそんな時期があるもののようです。なんてことをスキャンしながら思い出しておりました。
うーん、こんな展示だけかとガッカリしてこの日は直ぐに帰宅したかと思います。
しかし、今思えばコレパンキレ・・・。後ろにはキハ来てるし。もう少ししっかり撮っておけばよかった!!
こっちも、もっときちんと撮れなかったの?と昔の自分に怒っております(笑)。
小田急の乗務員さんが片瀬江ノ島-藤沢や新松田-小田原の折り返し各停列車のことを○○テイコーと言っていました。最初は何のことか定かじゃなかったのですが、定期行路の定行だったようです。
そんな列車がかつては方向幕ではなくて運板を引っ掛けて走っていましたが、その後は5角形の方向幕となりました。当時、日曜しか休みが無かったのですが、近所の片瀬江ノ島-藤沢間で撮影すると休日ダイヤでは1時間に2本が急行でその他2本はテイコーのHE車でした。面白くないなあと撮ったHEも今では辻堂の海浜交通公園の展示場に台車が残っているのみで車体はありません。116両もあった大所帯形式だったのに。
片瀬江ノ島-鵠沼海岸間ですが、この頃は柵も無くて撮り易かったです。ジャンパ付きで電連がないですね。
鵠沼海岸-本鵠沼間を行くテイコーです。側面にサボ挿しが残っています。枕木は木製でした。