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小田急と江ノ電の記録鉄のブログ

Yahoo!ブログから移転しました。宜しくお願い致します。

小田急1800形秩父鉄道へ

小田急1800形は、1979.-3.26にマイナス1編成、1979.-7.16にマイナス2編成、1980.-7.14にマイナス1編成、1981.-7.13にマイナス1編成が営業線から姿を消して、全ての22両が秩父鉄道へ譲渡されました。その内の2両は部品取り車として早期に解体されています。
実際にこれらの譲渡車両のどの車番が何時輸送されたのかは調査をしていませんが、どこかに情報はあるのでしょう。いい加減ですみません。
輸送は小田急線内のものが2枚ありました。いずれも小田原での撮影です。撮影年月日は不明です。

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小田急1800形の運転台は??

1800形の運転台はこれくらいしか小田急時代には記録していません。相模大野の工場でも訪問時に1800形が居た事が少なかったり、撮影の対象が違っていたのが原因かと思います。
1800形の運転室内は旧旧4000形と同じく、他車との混結を避けるという目的でピンク系の塗装がされていました。旧旧4000形がHB車に代わり江ノ島線にやってきた時に、私は2600形がいよいよ江ノ島線に普通にやってきたかと勘違いして、あの音を聴けると子供心に思ったのですが、何とそこから聴こえた音はボロい電車の吊り掛けモーター音でした。しかし、扉の横のステンレス製の袖仕切りは2600形と同じでしたから、そこだけ評価(笑)しました。そして、この旧旧4000形の運転室内の色にちょっとビックリしたのを記憶してます。
おまけ画像はこのシリーズの後半に出てくる秩父鉄道時代の1800形を追いやった元国鉄101系の運転台です。多分、HE車のマスコンが装備されたものだと思います。このブレーキ弁との段差が非常に気になりました。更に小型の扉SWは京浜急行のに似てます。これも流用だったのでしょうか。
運転室内の画像は秩父に行ってからのカラー画像を後半で掲載致します。

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1800形の運転室です。4000形と同じく近代的なものになっていました。生方様の著書「小田急1800形」の中に改造前の簡潔だった運転台が掲載されていますので比較してみてください。1979年3月7日撮影です。

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秩父鉄道1000系のものです。2012年8月12日撮影です。

小田急1800形 全編成ガイド(6)

よーく画像を見たら、どうも海老名で撮ったのが1861のようでした。今日はラストの1861+1811です。
1811が入線時車号1821で、元関西国電のモハ42005と言われてます。1861が入線時車号1871で、元国鉄のモハ60050です。
1821と1871時代は4扉と3扉の組み合わせだったようですね。
この2両はかなりの経歴の持ち主だったようです。

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1973年1月15日に海老名での撮影です。

これで全編成ガイドは終了しますが、未だこの後がありますので。またご覧下さい。

小田急1800形 全編成ガイド(5)

全編成ガイドあと1回になりました。今回は1809+1859+1810+1860です。
検査時の両端に電気連結器を装備した1811+1861だけまともなのがないのですが、何とからしいのがあったので次回お見せします。
1809は元名鉄のモ3705で入線時車号は1812。1860は元名鉄ク2705で入線時車号は1863でした。

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踏切脇の方は踏切装置の監視でしょうか?撮影していて後からビックリしたのを思い出しました。撮影は、41年前の1978年6月14日です。善行-六会(現六会日大前)間です。

小田急1800形 全編成ガイド(4)

全編成ガイドに戻ります。
今日は1807+1857+1808+1858です。
撮影は1978年6月14日で善行-六会(現六会日大前)間です。

1807は厚木線貸与でデビューから2年ほどで復帰してます。1950年の改番はなかったようです。一方の1858ですが、こちらも厚木線貸与で2年ほどで復帰、改番なしでした。

19780614-1807 44レ(シ)

44レ(シ)運用の1807です。

19780614-1858 44レ(シ)

44レ(シ)運用の1858です。
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